見出し画像

研修講師としての私 ライターとしての私

最近noteの更新をしていないなぁ。
やらなきゃ!という気持ちにはなっていないのだけど、
なんとなく後ろめたい気持ちもある。
毎日更新しようと思ったあの頃の自分にはずかしいなぁ。
書くことがないわけでもなければ、書く時間がないくらい忙しいわけでもなく。

研修講師として来月介護事業所でオンライン研修をすることになっている。
それ以外でもコールセンターの研修についての仕事の予定もある。
ずっとやってきたことではあるが、参加者が一期一会なので、
企業内研修講師時代と比べると緊張感が段違いだ。
私の研修内容がすべて!なんていうことはないとは思うが、
少なくとも数多くいる講師から私を選んでくれた人たちは、私にそれなりの期待を持っているはずだ。その期待に応えなくてはならない。
進行台本があっても、あんちょこがあっても、やり直しは利かない、
一発本番の世界なのだ。緊張しないわけがない。
しかも「緊張なんてしてないもんね」っていう演技はできない。
なぜって?そりゃあ見抜かれるからだ。
人は緊張すると雄弁になる。悪く言うとしゃべり続けてしまう。
緊張しているんだから、考えがあってではなく、ぺらぺらと喋ってしまうのだ。これはいけない、いただけない。

緊張をしないように、ペラペラしゃべってもいいように、
最初のアイスブレークはむしろ自分向け。
ウォーミングアップを欠かさない。前座や前振りに近いことをやったりして。温まってきたら、参加者の顔を見ながら本研修をスタートさせる。
時間を気にしながら、しかし気にするそぶりは見せず、きれいに休憩を入れて、飽きないように講義をする。
「ああもっと聴いていたい」
そう思ってもらえるあたりで時間終了となるのが良い終わり方。
毎回それを願っている。

一方のライターとしての仕事はどうか。
私はあまり器用ではないので、ライターといってもほとんどが研修がらみのライティングをしている。記名記事もあるため「研修講師」という鎧は脱がないようにしている。まあ鎧を脱いだところで、恋愛や化粧品、不動産といったあたりは書けない。ジブン不器用なんで(わかる人だけ笑って)。
もとい。
ライターの仕事は、何度も読み返して納品となる。
その後編集の人が内容を確認し、問題なければ掲載されるわけだが、
掲載になったからといって、それを読んだ人の反応はわからない。
読んだのかすらわからない。同じメディアの他の人の記事を読むと断然そちらのほうがおもしろく感じたりしてがくんとなったりする。
それでも依頼されれば書くし、研修の実績を記事にしたいと提案もできる。
なんでも書けない私だが、それなりに専門があってよかった。
メタルキングの鎧までとはいかないが、神秘の鎧くらいはまとっているだろう。たまに魔人の鎧だったりするけど(ここもわかる人だけ笑って)。

研修の仕事をやっていたから今の私がいる。
そもそも、なぜ私が研修担当者になったのか。20代のころに在籍をしていた大手運送会社の引っ越し事業部で、一生懸命やっているのに評価をしてもらえていなかったドライバーのためになにかできないか、と考えだしたことが最初だった。作業をきっちりできていても、身だしなみや言葉遣いに問題があった彼らに自分なりにマナーを伝えた。だんだん評価が上がり、言い出した私は支店の教育担当になった。死亡事故があった支店で教訓にするために幼稚園児に安全教室を始めようと提案した。これは今では本社のスタンダートらしい。当時の支店長が従業員同士のコミュニケーションが取れれば、と支店内通信を始めた。書くのは私。当時インターネット環境もないから紙で一人ひとりに社内便を使って1000枚以上配布。最初は無視されたし、読んでいる人を数えるほうが早かった。しかし私は続けた。3年ほどしたら、そのうちに社内報は読まない人を数えるほうが早くなった。余談だが、当時の私の上司(というか管理課長)は、今なんと代表取締役社長。うっそーん。

毎日数千文字をかいているわけでもなく、毎日研修があるわけでもない。
だから稼いでいないし、来年の住民税は心配をすることもない。
でも毎日何かしらメモを取っている。
研修のために使える言葉を目にしたら耳にしたら、必ずメモをとる。
漫画でもアニメでもドラマでも。
人格者に出会ったら必ず学ぶ。もちろん漫画でもアニメでもドラマでも。

ああ何書いているんだろ。
何か書こうって思って書いたんだけど、
すみません、しょうもない記事で。

いただけるなら喜んでいただきます。