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最後から何番目の葬儀になるのだろうか

叔母が亡くなった。
西の魔女ならぬ、彼女は東の魔女だった。
いや、ただの迷惑な叔母だったか。ことの真相はさておき、
とにかく叔母が亡くなった。告別式だ。

私は今までに何度も葬儀に参列したことはある。
記憶にある一番古いものは、母の葬儀だ。小学校5年生。
次は祖父の葬儀で、高校1年生。
そして父の葬儀。これは25歳の時だった。
しかし社会人になってからは、ほとんど通夜の参加であって、
父の葬儀以外の告別式に出た記憶は、ない。
だから葬儀に参列することはものすごく久しぶりだった。

母の時、私は幼かった。葬儀にはよそ行きのワンピースを着せられていたような気がする。祖父の時は高校生だったので、制服だった。
父の時は25歳だったので、喪服を着なくてはならない。しかも本来喪主であるべき妻である母がすでに故人だったため、その娘である私たちは、
正喪服を着るように叔母たちに強く言われた。(結局、喪主は叔父(叔母の旦那、誰かは忘れた)がすることになった)しかも叔母は20代の私に
染め抜き五つ紋の和装を勧めてきた。
冗談じゃない。それじゃまるでどこかの未亡人ではないか。悲しみに暮れているはずの私だったが、怒りが湧いてきたことを覚えている。ともかく和装なんてゴメンだったので、かつて存在していたユニーというスーパーで急遽光沢なしのブラックフォーマルを購入したのだ。
喪服を着たのはそれが最後だったと記憶している。
年齢の割に、身内の葬儀出席率が高い私だが、葬儀が多くなりそうな年になってからは逆に葬儀が少なく、実に30年ぶりの参列となった。

30年ぶり、ということは、私はもう25歳ではないのだ。
あのときの喪服が入るわけがない。
とっくに処分をしている。ではどうするか。2020年から立て続けに叔母たちが亡くなっている。私はずっと葬儀に参列をしていなかった。
理由はこのnoteを読んでくれている方ならお分かりと思うので、あえてここには書かないけど、過去のことを水に流せない私は、彼女たちの葬儀に参列棄つことはどうしてもできなかっった。しかし、やはり父の最後の妹なので、父のために今回は参列することにした。だから喪服が必要になってしまった。

しかし喪服は高い。今後葬儀に参加することはほとんどないように思われる中、数万円を出すことは躊躇われる。不謹慎かと思われるだろうが、正直出したくない。
ここはひとまず誰が今回の葬儀に参列をするのか、喪主であるいとこに確認をしてみた。

「5人だよ」

え?たった5人?誰ですか?

「僕と
マキちゃんと(姉・実名)
マキちゃんの旦那さん
ハルコさん(叔母のいとこ)」

オンリー?
「オンリー」

家族葬中の家族葬だ。
それならば、ということでさらに聞いてみた。
「黒のスーツでもいい?(本当はセットアップなんだけどね)」
常識はずれな55歳だが、そんなことはもう気にしない。
しかし、いとこはあっさりと
「いいよ、誰が来るわけでもないし」

というわけで高い喪服を買うこともなくなった。
(というか、買うつもりゼロ。ダメなら葬儀には残念ながら参列しないつもりだった)。あ、しまった。私は坐骨神経痛からくる謎の脚の痛みを抱えていて、パンプスを履くと、もれなく強烈な痛みに襲われる仕組みの脚を持っている。つまりスニーカーしか履けないのだ。厳密に言えば、無理をすれば履ける。でも無理したくない。だからこれも正直に言った。大丈夫だった。

当日、黒のジャケットに黒のパンツ、黒のインナーに着替えた私を見て娘が言った。
「葬儀屋さんみたい」

これが私の参列する最後の葬儀になるような気がする。
火葬場へ向かう車内で姉夫婦は、自分たちの墓を数百万で買うなら、
世界一周旅行にでも行った方がいい、なんて話をしていた。
多分、姉は私よりも長生きするだろう。

私は火葬場での待ち時間、叔母のいとこにあたるハルコさんに
LINEのやり方を教えていた。
「たまきちゃんは教えるのが上手ね」と言われ、
今までできなかったLINEができるようになったということで
ハルコさんはとても喜んでいた。
仕方なく参列した葬儀だったけど、なんとなくいい時間だった。

かも。



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きたがわたまき
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