人間の多様性について
皆さんこんばんは!
シロクマです。
本日は、"百円の恋" から思ったことを記事にします。
いやぁ、安藤 サクラ さんの演技はやはり圧巻ですね...
作中では、主人公のイチコ(安藤サクラ)が、ボクサーに恋し 、ある日を境に彼女自身もボクシングを始め、初勝利を飾るべくひたすら練習に打ち込むというシーンがあります。
そんなシーンの中、私が感じたことは、「女性が、ボクシングをする」と言うことに、違和感を持たない人はどれだけいるのか?ということです。
「いやいや、格闘技くらいするでしょ。」
と思う方はいるでしょう。
じゃあ、「女性が相撲を取る」と言ったら?
"違和感"を感じる人はいるのではないでしょうか?
(私は感じます。)
しかし、「女性が相撲を取ってはいけない。」と誰からも教わったことはありませんよね。
ただ、私たちは文化的かつ感覚的に、「相撲は"女性が"するスポーツではない」と決めつけているのだと思います。
このような慣習には下記のような背景があるのではないでしょうか?
【背景】
幼少期ごろから、自らの"性"(Sex と Gender)を次第に理解している。
↓
その理解に基づき、社会のルールや行動を分別している。
私は、イギリスに留学していた際、国際政治学とは別に、"Gender (性) " についても専攻していました。
それらの経験をもとに、日本での"性の理解"は今後どうあるべきか、という視点で、私なりの意見を書いてみようと思います。
Pride in London (2018)
私はいつから"俺"になったのか?
1. 女性の皆さん、「なぜ女子トイレに入るのですか?」
2. 男性の皆さん、「なぜ男子トイレに入るのですか?」
1. "女"だから
2. "男"だから。
単純ですよね。
私は幼い時、父に連れられ、男は"女子トイレ"ではなく、"男子トイレ" で用を足すものだと認識しました。
私は、これ以外にも、"男" として区別された社会の決まりに従い、それらに違和感を感じることはありませんでした。
【例】
・プールの時は、男だけ上半身裸になる
・髪は短く切る
・ランドセルは"黒"
・整列は男子の列に (私が学生の頃は※"男女別"が当たり前でした。)
※ちなみに、"女男別"という変換予測は、ありませんでした。
整列を例に取ってみても、日本 (≒アジア諸国) は、性別に強い"しきたり"があるように思います。
つまり幼少期の私は、
生物学的な性 (Sex) が "Male" (男) であり、
社会的な性 (Gender) も "Male" (男) であることを
成長する中で、自然と受け入れたのです。
上記は、"生物学的な性"と"社会的な性"についての説明です。
私のような性への理解は、世間でいうところの、マジョリティー(量産型)であり、"一般的" とされる"性"の受け入れ と言えるでしょう。
しかし、
世界には、 日本には、 私の友人には、
この受け入れが容易にできない人がたくさんいます。
しかし、それは誤りではなく、彼女ら彼らの"多様性"です。
できないことも"当たり前"です。
これを前提に、次に話を進めたいと思います。
誰にも分らない
もし、自分に子どもができたとき、"性"を受け止め方は自由であってほしいと思います。
ですので、私から子に対して "性"を強要するような言葉 には特に注意したいと思っています。
例えば、男の子が生まれた場合、
「泣くな、男だろ!」 と
男の子だから " ~してはいけない "
という、一方的な性の押し付けはしたくないということです。
男だから泣いてはいけない理由はありません。
もし、子ども自身が、"泣かない男はかっこいい"と思うのであれば、
"泣かない"という選択を取ればいいだけです。
ロンドンでの出会い
友人のLyです。in Morocco
リー (Ly) からは、たくさんの価値観を学びました。
特に"Gender"に関しては。
例えば、
「世界には、"LGBT"では表現しきれないほどの多様性が存在している」
ということです。
簡単に言えば、"LGBTQ+"の概念です。
私が説明するより、こちらの記事が分かり易かったので...
また、LGBTQ+の"+"も忘れてはなりません。
「+」には、他にも様々なセクシュアリティがあること、枠を限定せず常に新しい多様性に開放的でいようという前向きな意味が込められています。
例えば、自身がLGBTQのどれにも該当しないとしても、
masculinity (男らしさ) や femininity (女らしさ)
にばらつきがあることは当然です。
同じ人なんて誰もいない。
男の子だから、"ミニカー"をプレゼントする。
女の子だから、"お人形"をプレゼントする。
これら大人が「喜ぶだろう」と決めつけている物は、本当に彼女ら彼らが欲しい物でしょうか?
前述したとおり、"男らしさ"や"女らしさ"には偏りがあります。
「自分が "女" ということは認識していたが、幼少期は車のおもちゃが欲しかった。」
「車のおもちゃが欲しいと言っても、"女だから" と 親族に拒否され、すごく心が狭くなった。」
と友人のリーは話していました。
「かわいい愛娘は、お人形で遊ぶべきだ」
と、親が可能性を制限することは、本当の愛情で、本当の教育でしょうか?
子どもからプレゼントを拒否されたときは、親が一歩下がって、
それが単なる"拒絶" か、"性への違和感" か、ぜひ考えみてほしいと思います。
事実を見極め、"多様性"を教えることは"親の責務"ではないでしょうか?
「いちいちめんどくさいよ。」と思う方もいるかもしれません。
しかし、そういった歩み寄りは、多様性が広がる現代社会で忘れてはいけない行為だと思います。
"同じ人なんて誰もいない"
そういった感覚を、幼少期から養うことができれば、性的マイノリティへの理解がより一層深まる社会が構築できるのではないでしょうか?
ちなみに、世界のおもちゃ市場にも下記のような変化が見られます。
「おもちゃはその時代の文化を反映するもの。世間がますます多様性を受け入れている中、我々も全ての子どもたちが自由に遊べる人形を作る時がきたと感じた」
最後に
いかがでしたでしょうか?
まだまだ、書ききれていないことはたくさんありますが、それらはまた次の機会に述べたいと思います。
この記事を読んで少しでも前向きに"性の多様性"を理解していただければ幸いです。
また、「女性が相撲を取ってはいけないのか?」という点に関しては、「女性は相撲を取っていい。」と主張したいのですが、さまざまな議論が繰り広げられるのが事実です。
下記にて参考資料をいくつか掲載してありますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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