【ナチスドイツ(前編)】ユダヤ人大虐殺と全体主義について
皆さんこんばんは、シロクマです。
本日は国際政治学の分野において無視することができない、アドルフ・ヒトラーが率いたナチス政権と、それによって生じた"ユダヤ人大虐殺(ホロコースト)"に関して記事を書きたいと思います。
前回の記事にて、ユダヤ系ドイツ人哲学者のハンナ・アーレントが唱えた"全体主義批判"は今日の世界政治にも関連することが多いのではないのかと主張しました。
上記の"全体主義"という概念は、前アメリカ大統領ドナルド・トランプの政治思想とも共通点が見られ、今日における全体主義とは世界政治にどのような影響を与えているのか理解を促してくれるでしょう。
また、個人的な話にはなりますが、オランダを旅していた際にユダヤ系ドイツ人のアンネ・フランクが住んでいた家に入る機会がありました。当時の感想を一言で表すと、
「想像した以上に狭く、何もない部屋」でした。
ユダヤ人として生まれただけで、ホロコーストという悲劇が起き、罪のない少女や人々に対し、これほどまでに過酷な環境で生きることを強制させた歴史的事実を再認識するべきだと感じました。
こうした上記のような理由も、この記事を書こうと思った動機の一つです。
それでは始めていきましょう。
ユダヤ人という異分子排除
そもそもヒトラー率いるナチスドイツの台頭により、なぜユダヤ人が虐殺される悲劇が起こったのでしょうか?
これには様々な要因が考えられます。
下記にていくつかの理由や時代背景をもとに考えていきましょう。
①人種思想
1870年代後半から、ヨーロッパはいわゆる"帝国主義"の時代に突入します。
帝国主義の時代において、ヨーロッパ諸国は新たな資源を求め、アフリカ大陸に侵攻しました。
しかし、そこで彼らが発見したものは、資源だけではなかったのです。
それは自分たちとは似て非なる"民族"の存在でした。
ヨーロッパで生活する人々にとって、アフリカ大陸に住む人たちの文化や歴史は理解が困難であり、次第に"未開のもの"であるという認識が広がるようになりました。
そのような時代背景は、ヨーロッパで"人種思想"という概念が広く認知されるきっかけになったと言えるでしょう。
例えば、フランスのアルテュール・ド・ゴビノーが当時執筆した「諸人種の不平等に関する試論」は「人間は生まれつき人種によって優劣が分かれている」と述べられていました。
このような解釈が、「白人は黒人(有色人種)を支配する役割がある」と言う誤った理解を伝播させた要因であると考えることができます。
①結果、人種によって"優劣"があるという理解が波及されてしまいました。(特にヨーロッパ諸国で)。
②国民国家思想
まず大前提として、「日本が何千年もの歴史において、ずっと日本であった」という当たり前の解釈は、ヨーロッパ諸国のほとんどにおいて通用しない認識であると理解しなければなりません。
ドイツを例にとって考えてみましょう。
神聖ローマ帝国 → ドイツ連邦 → ドイツ帝国 → ワイマール共和国 → ナチス・ドイツ → 西ドイツ・東ドイツ(分裂) → ドイツ(再統一)
と言うように、神聖ローマ帝国の時間軸から見ても現在のドイツになるまでにかなりの歴史的変化があったと理解することができます。
また、この変化は単に国名の変化ではなく、領土、文化、国家の変化、またそれを共有する国民の変化があったことを表しています。
また、そのような時代背景の中で、ヨーロッパ諸国における国の在り方について大きな影響を与えた人物がいました。
それが、かの有名なフランスのナポレオンです。
彼がフランス革命後に唱えた「国民国家」という思想は、ユダヤ人にとっての頂点であり、虐殺の序章にすぎなかったのかもしれません。
なぜなら国民国家とは、「国家内部の全住民をひとつのまとまった構成員として統合することによって成り立つ国家」を意味しているからです。
つまり、当時のドイツ人にとって"国民国家"という思想は、「自分たちとは異種の存在である"ユダヤ人"も同じ国民と認識し、領土、文化、国家を共有する者と認めせざるを得なかった」のです。
ドイツ人は、「同じ国民であるからにはユダヤ人もドイツ人としての"国民意識"を持つべきである」と考えるものが多かったが、反対にユダヤ人の中にはユダヤ人としての意識を捨てきれなかった者もいたのでしょう。
また当時のヨーロッパでは、"ロスチャイルド家"の台頭により、それまで認めていなかったユダヤ人への"法律上の権利"も認めました。
法律上の権利を認めたということは、ユダヤ人もドイツ人たちと同等の存在であることを公式に認めたということです。
国を持たずヨーロッパ各所に存在したユダヤ人にとって、国民国家思想はかなり都合の良い風潮あり、反対にドイツ人にとっては反感を強める要因になったのではないでしょうか。
②結果、自国の中に自分達とは異種の存在が紛れ込んでいるという意識が広がってしまいました。
③ユダヤ人憎悪≠反ユダヤ主義
そして最後に、当時のヨーロッパで存在していた"ユダヤ人憎悪"と"反ユダヤ主義"がどのようなものであったかを考えてみたいと思います。
ユダヤ人憎悪≠反ユダヤ主義
・ユダヤ人憎悪
当時のヨーロッパの中で、ユダヤ人に対してどのような印象を持っていたのかを2つの例で考えてみましょう。
まず第一に、「キリストを十字架にかけて殺したのはユダヤ人である。」と宗教上の観点から広く認知されていました。
第二に、「ユダヤ人はキリスト教で禁止されていた利子(金貸し)を取って金銭を得ていた」という歴史がありました。
・反ユダヤ主義
上記は当時のユダヤ人憎悪としての例ですが、ナチス政権時の"反ユダヤ主義"はこれらとは異なる理由でユダヤ人に対しての反対運動が広がりました。
一つ目は、"大衆の閉塞感"です。
第一次大戦に敗れたドイツは"巨額の賠償金"を背負うこととなりました。
国が貧しくなれば、国民は不安やそれに伴う閉塞感を持つようになり、そこから救い出してくれるような"カリスマ"のような存在を求めるようになります。
この大衆心理を上手く利用したのがナチスの"世界観政党"です。
①世界や社会の本来の在り方、②優良な民族の歴史的使命、など目指すべきものを提示することは当時の混乱するドイツ国民にとって安心できる世界観そのものであり、進むべき道しるべのようなものであったのでしょう。
これが"民族的ナショナリズム"の根源です。
二つ目は、"隠密の世界勢力"という虚構です。
例として、当時のユダヤ人の職業には、弁護士、医者、大学の教授などの割合が高く、ドイツ人にとって彼らが"全能の秘密結社"であり、「国家の滅亡を企んでいる」という幻想を駆り立てるような状況を生み出していました。
このような考えは、ユダヤ人が国家の経済や勢力が停滞する足枷であり、「自分達 (ドイツ人) のポテンシャルを邪魔する異分子」という根拠のない差別の対象となってしまったのです。
このような結果、ユダヤ人を"敵"とみなすことが当たり前になってしまったのです。
そして、あの悪夢のような大虐殺が起こってしまいました。
最後に
ヒトラーが大衆によって選ばれたリーダーであるならば、ユダヤ人虐殺は単に彼の独断で起きたとは到底言うことができないでしょう。。
上記のような歴史は、我々の誰しもが"全体主義"という思想の渦に飲み込まれ、冷静な政治的判断ができなくなる可能性があることを意味しているのではないでしょうか?
近年では、イギリスの"Brexit(ブレグジット)"をはじめとし、「他国の問題を自国に持ち込むな」と言うようなポピュリズム的な政治体制が増えてきているように感じます。
これらの動向を踏まえ、後編では全体主義に関連した大衆の心理などを記事にできればいいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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