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エホバの証人二世のトラウマ世界〜12年間の歪んだ教育⑤

この文章はある特定の組織や人物を誹謗中傷したり、傷つけたり、貶める意図は全くありません。また、信仰の自由を否定するものでもありません。個人的な感情を凝縮した文章です。古い記憶の中には、間違いや歪曲が多々あり時系列もバラバラだと思いますが、本筋には問題はないので確認作業はしません。

当たり前に存在した強烈な体罰

親との約束を破った大きな代償は、「お仕置き」と呼ばれる肉体的な体罰でした。

どの信者の家庭でも多かれ少なかれ行われていたと思いますが、親同士である程度の基準や使用する道具についての情報交換も行われていたようです。

我が家では、すりこぎ棒や伸ばし棒、父親の革製のベルト、青いプラスチック製の靴べらがレギュラーで、それらの道具を使い、丸出しのお尻を母親の基準で、数回から数十回ぶっ叩くというものでした。

それは何度も何度も繰り返し行われ、最凶の恐怖でした。

教えにそぐわない言動や教義への反発、親に対するちょっとした口答えにもお仕置きは実行されました。親同士の密告も活発で、母親がその場にいなくても知っている僕の悪事(?)がありました。

お仕置きは家庭内だけには留まらず、エホバの証人の集会場の奥の部屋や、出先のトイレなどでも行われました。エホバの証人の集まりの中、床に寝てバタバタし、泣き喚き「許して」と叫び、奥の部屋へ行く事を頑なに拒否した結果、引きずられながら連れていかれる子供を見た事も何度もあります。

また、出先に適当な場所がない場合、「家に帰ったらお仕置きだわ。」と言う死刑宣告を受けた状態で帰宅する事もありました。当然の事ながら、帰宅中の足取りは相当重く、その場所から逃げ出したい衝動を必死に抑え帰宅した事も数度ではありません。

エホバの基準で悪いことをした自分が道具を使ってお尻をぶっ叩かれる事は、嫌だけど仕方ない事、自分の行いが悪いからだと思っていた気持ちや稀にある納得のいくお仕置きは、1割か多くて2割ぐらい。それ以外はどうしてこんな事でぶっ叩かれるのか納得出来ない事ばかりでしたが、母親の命令は絶対でした。

暴力はサタンの行いと教える教義なはずなのに、お尻をぶっ叩くことは許されている矛盾にも当時の僕は気付いていました。

兄弟ゲンカなどで一緒にお仕置きをされる時は、どちらが先かを子供達に決めさせて、順に隣の部屋に入るという残酷な仕打ちも行われました。

お仕置きの前には「どうしてお仕置きをされるのか」という問いを僕に尋ね、一応の納得をさせました。そして、お仕置きの後は決まって、母親にぎゅーっと抱きしめられ、「ママだって本当はこんな事したくないのよ。」「だから、ママの言うこととエホバの教えを守りなさい。」と痛みで泣いている僕にぶっ叩いた母親は時に泣きながら諭しました。

というより、お尻をぶっ叩かれる覚悟を決める前に母親に、「お仕置きが終わったら、抱きしめてくれる?」と僕は尋ね、母親からのイエスの返答でぶっ叩かれる決心をしていました。

やっぱりこの精神状態は、母親も子供であった自分も正常ではなかったと思います。虐待以外の何物でもありません。

母親が怒るから お仕置きが怖いから

僕にとっては、教義を守らなきゃいけないとか心を入れ替えて頑張ろうという反省や教訓なんかひとつもなく、ただただ純粋なお尻の痛みという暴力支配と、自己を否定される孤独への恐怖があったのみでした。

神の教えを守って、ハルマゲドンを生き残るんだ!などの意欲は微塵もありません。単純に母親が怒るから大人しく言う事を聞いておこう。お仕置きが怖いから言う事を聞いておこう。それが行動原理の全てでした。嘘も言い訳も上手だったと思います。

ぶっ叩かれたのがお尻だったのは、虐待の痕跡を外部に漏らさないという教団の知恵もあったのではないかと思っています。


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北乃 扉
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