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【持論かつ妄言】精神安全保障
お疲れ様です。
はじめましての方ははじめまして。
Northと申します。
この記事では私の体験から、(備忘録という意味も兼ねて)私がよりよい生活を送るうえで気にかけていることをお話しします。
ここで注意。
私は精神医学に精通しているわけではありません。モラトリアムを享受している、ただの一介の学生です。
したがって、この先の文章はすべて私の持論かつ妄言となります。
それでも気になる、という方はぜひどうぞ。
自分のためのメンタル指南
私は私自身に、ひとつ確実に言えることがあります。
瘴気を感じるものには関わるな、ということです。
街を散策していると、様々な建物や場所に出会います。
しかしその中にも、「なんか近づいたら酷い目に遭いそうだな」と思う場所ありますよね。(といっても滅多に無いですが)
それをその他の事象にも当てはめます。
たとえば。
•「生徒会長やらない?」と誘われたが、自らの無能さを認識しているため提案を蹴る
•人が喧嘩しているところを見るととても気分が悪くなってしまうので、そういった兆しがあれば喧嘩が始まる前にどこかに逃げる
•明らかにヘイトや分断を煽る動画/記事/投稿を見かけても、なるべく見に行かない
などなど。
一つ目の提案云々の話では、
自分の無能さを認識している→そのままやったら色んな方に迷惑がかかる上に、その罪悪感と重責で自分のメンタルもやられると予測できる→提案をお断りさせていただく。
といった思考プロセスが背後に存在します。
(私は断りきれなくて死んでしまいました笑)
以上の具体例を踏まえて簡潔にお話をまとめると、
自分の精神衛生上、悪影響があると予想されるものには近寄らないし関わらない
→「興味本位」や「怖いもの知らず」での行動はなるべく慎む
ということが言えます。
あくまでも私が気を付けている内容ですが、これがタイトルで言及した私なりの「精神安全保障」論です。
(論、というにはぐちゃぐちゃで雑すぎますが…)
![](https://assets.st-note.com/img/1724544829905-zeL3o63NJd.jpg?width=1200)
出入り口の近くにこわそうな外国人が屯していたので、別の出口から逃げました。
なるほど、つまりそれって「逃げ」ってこと?
否定はできません。
個人的には、「逃げ」より「距離をとる」といった表現をしてほしいのですが…
言葉遊びをしたってどうしようもありませんね。
この話題に絡めて、「精神安全保障」なるものの問題点などをお話します。
★突き詰めればそれはただの自己中心的な人間だし、ただの「逃げ」と変わらない
関わるべきでない、関わりたくないものから距離をとるというお話ですから、その行動は自己中だし「逃げ」に他ならないでしょ、というご指摘も理解はできます。
納得もできます。
何かから離れるということは、時として他人や社会に迷惑を与えてしまう恐れもあります。
病む人、というのは他人の気持ちや目線ばかり気にしている傾向にある(と考えています)ので、「他人のこと気にせず逃げてね笑」と言われても距離をとることに抵抗が大きいでしょう。
ここで。
「逃げ」という言葉を再確認します。
逃げることは良くないこと、という認識が多くの人に刷り込まれている(実際逃げるのはどうなの、というシチュエーションも現実に存在するので、この認識も決して間違ったものではない)と考えますが、もちろん逃げることが正しい場合もこの世にはあります。
あなたはアフリカのサバンナにひとり放り出されました。あっ、遠くからライオンがあなた目掛けて走ってきましたよ!!
さて、あなたはどうする!!!
まあ逃げますよね。
逃げたら人類が滅亡してしまうような状況でもない限り、ここであなたが逃げても誰も咎めません。むしろ逃げなかったら笑い者ですし、まあ笑い者にされてることすら永遠に認識できなくなりますが。
いえいえ失礼しました。
あくまでもこれは例えですが、一般生活においても「逃げても誰も咎めないこと」は多く存在するはずです。
(実際ライオンに襲われたら逃げられる気はしませんが、まあ逃げ切れるものだと思ってください。例えが悪すぎる)
他者に対するヘイトなどはその最たる例でしょう。
![](https://assets.st-note.com/img/1724544710748-ChsfmaxotL.jpg?width=1200)
ここで話を変えます。
現実の「安全保障」にも限度というものはございまして、自国の防衛のためにある程度軍拡して抑止力を高める、ということは世界のほぼ全ての国や地域で行われている普遍的なものです。
しかし、限度を超えるとどうなるか。
「あの民族/国は我々に仇なそうとしているから、先に攻撃しよう!!」
まあ攻撃を受ける前夜とかなら理解できますが、平時にこれを実行すると大変です。
決して私はここで、某国の某戦争や敵基地攻撃能力の是非について論じたいわけではありません。
それについても人それぞれの考え方があるはずですし、関係のないところでこのような議論を始めることは、それこそ前述した対立云々は避けろといった話に矛盾してしまいます。
私の「精神安全保障」にも限度はある、ということです。
他者に大きな影響を与えない限り、またあまりにも自分の成長の妨げにならないようであれば、別に「逃げ」ても構いませんし、寧ろそうするべきでしょう。
言うまでもなく、興味本位の行動は慎みましょう。
(もちろん、完全に他者への影響を取り除くことはできないと思います。ですがあなたの精神衛生はとても大事です。分断を生まないためにも、しっかりお話してから仕事などを助けてもらうようにするべきでしょう。)
といっても、世の中の事象はほぼすべてに当てはまるでしょうし、こんな事を言っても今更でしょうが。
お話をまとめます。
わかりやすく図解すると、以下のようになると思います。
![](https://assets.st-note.com/img/1724545563169-cuMDFmdm16.jpg?width=1200)
「逃げ」は決して必ずしも悪いことではない、しかしながら限度もあることは必ず忘れてはいけないというのが私の考えです。
さいごに
最後までお読みいただきありがとうございます。
冒頭でも申し上げました通り、決して私は精神医学のプロフェッショナルではありません。
ですので、私の述べている内容について疑問点を持たれることも多いと思われます。
この考えも、完成しているわけではなくまだまだ発展途上の段階です。
この文章は私の経験を元に、それを発展させて書いておりますので、質問等あればぜひお聞かせください。答えられる範疇であれば後日回答させていただきます。
この記事が、今を精一杯生きる方のサポートになれば、私にとってそれ以上の喜びはありません。
それでは。
あなたの人生、その全てに栄光あれ。
画像出典…
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ライオン#/media/ファイル%3ALion_waiting_in_Namibia.jpg