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「ぼくのためにミソ汁を作ってください」と言えないのは時代のせいだろうか
実家に帰った際、本棚にあった『めぞん一刻』を読み漁った。
そういえば時々耳にする、「ぼくのためにミソ汁を作ってください」というプロポーズはクズ代表と名高い『めぞん一刻』の主人公、五代祐作の言葉であるが、これがなかなかに素晴らしい。まあ厳密に言えばこれは想像上の五代の言葉で、実際には『響子さんの作ったミソ汁… 飲みたい…』と言った上、ヒロインである響子さんはプロポーズだと全く気が付かないのだけれど、趣旨がずれるのでこの話は辞めておくことにする。(本当はこの言葉を振り絞る過程や描写について百の言葉を用いて説明したい!)
「ぼくのためにミソ汁を作ってください」は、質素ながらもかけがえのない、日常の幸せなワンシーンが想起される言葉で、幼少期の私もプロポーズする際は是非使いたいと良く思ったものである。
しかしまあ時代は流れゆき、大人になると料理が趣味になり、代わりに皿洗いが大嫌いになったわけで、私が言うなら「きみのためにミソ汁を作らせてください」か、「ぼくのために皿を洗ってください」の方が適しているように感じる。前者ならまだ風情が残るものの、後者の場合は一歩間違えれば家政婦への指示とも捉えられかねない。
脱線するが、私は「結婚相手に求めるもの」を尋ねられた際、必ず「嫌な顔をせずに皿洗いをしてくれる人」と答えるようにしている。大抵の場合、その時点で問うてくれた女性は嫌な顔をするので、お互い結婚相手としてみれなくなる(元からの可能性も高い)わけだが、もう少し話を聞いて欲しいなと思うこともある。
私は、私が料理や買い出しを担当する代わりに、皿洗いを行って頂きたいだけなのだ。料理や買い物にかかる時間を考えれば、皿を洗う方が早く終わるだろうし、なんなら食洗器の導入だってやぶさかではない。手前味噌だが、十年近く自炊を行ってきた上、食に執念といえるほどの情熱を注ぐ私の料理は、結構美味いと自負している。
そう考えれば、悪くない提案だろう。結婚相手と言えどギブ・アンド・テイクにいこうじゃないかと思っているのだけれど、なかなかにこの条件を飲んでくれる方がおらず、非常に難儀している。
それに、私はただ皿洗いをして頂きたいだけでなく、私があんなにも苦手な皿洗いを毎日行えるその人間性に、純粋に尊敬の念を堪えないのである。自分にないものを持っている人には男女関係なく惹かれるものであり、私の場合それが皿洗いが出来る人だというだけだ。
つまり、小豆洗いが転職して皿洗いになったら、私は百本の薔薇を抱え、「ぼくのために皿を洗ってください」と求婚するに違いない。
結婚する予定の無い私の結婚条件について語り終えたので話を戻すが、「ぼくのためにミソ汁を作ってくれ」という言葉について、現代では昔よりもずっと受け入れられにくくなったように感じる。やれ性役割がだとか、やれジェンダーレスがだとか、そういった話を持ち出され、本来この言葉が持つ純真な美的性質が失われたと言えば誤解されるかもしれないが、なんとも寂しいものである。しかし実際に、私自身引っかかるようになってしまったわけで、文句は言えない。
この言葉が出てくる『めぞん一刻』についても、女性蔑視というか、セクハラが当然のように横行している(なんならギャグとして落とし込まれている)ため、今読むとそのノリとのギャップに心苦しくなる場面も無くはない。とはいえ最高に面白い漫画であるため、高橋留美子氏は描いた当時と今を見比べ、どう思っているのかお話を伺いたいものである。
とまあ、そういうわけで、私は私なりに、引っかかりのない(性差を感じない)現代風の「ぼくのためにミソ汁を作ってください」を改めて考えようと思う。
先述した通り、このセリフが魅力的だと感じるのは「小さな日常の幸せを想起できる」点だろう。「あなたと食を共にする日常は素敵で、あなたが私のために毎日ミソ汁を作ってくれたら、どれだけ幸せだろうか(だから結婚してください)」と。紐解くと趣が失われ、独りよがりで相手の気持ちについての配慮がない気もするが、プロポーズとはあくまで提案や懇願であり、「私はこう思いますが、あなたはどうですか? もしも同じ気持ちなら結婚しましょう」の意を前提として含んでいるので、これが正常である。
分解して言葉にフォーカスすると、「ミソ汁」というのも良い。毎日のように飲むミソ汁はそれこそ日常を表しており、具体的に指定することによって、想像しやすく、自分ごと化しやすい。
それに出汁はどうとるのか、具材は何にするのか、といったように、ミソ汁は個々人の味が出る。あなたが作るミソ汁でないといけないのだ。十五文字でよくもまあここまで表現できるもんだなと驚愕する。
簡単にだが分析が済んだので、それを踏まえ「私なりのプロポーズ」について考えよう。そう思ったが、この記事も長くなったため、それはまたの機会にしようと思う。二千字書いても私のプロポーズはついぞ表現できなかった。もう何でもいいから誰か結婚してくれ。
※高橋留美子「めぞん一刻」小学館 1980年
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