映像&パワーポイントの授業はオワコンか?
この記事を読んで、高校生のあなたが得られるかもしれない利益:大学の授業はどうあるべきか、反面教師から考える。パワーポイントはオワコンか。経営学と差別化、を考える。
「邪道」しかできない大学のセンセイ
どうも僕は、大学のセンセイには向いてないようだ。
なぜならば、フツーの授業ができないからだ。
教科書読んで、学生に読ませて、板書して説明する、これができない。
なぜか、教壇に立った途端に、こうした普通のことができなくなってしまうのだ。
「ウケなくてはならない」という、強迫観念がひどいからだ。
学生にウケないことが、この上なく怖かった。
最初の授業から、そうだった。千葉商科大学での。
教科書読んで、説明して、板書して、なんて面白くないに決まっている。
でも、学生たちにそっぽを向かれるのが嫌だった、注目してもらえないのが苦痛だった、スマホでラインやられるのが怖かった(当時はラインなんかなかったけど)。
それは見栄っ張りのせいである。
自分が言ったことや考えていることを、受け取ってもらえない、どころか無視される、そんなことは考えても恐ろしいことだった。
虚栄心のカタマリの僕には、考えるだけでおぞましいことだ。
そんな風だから、自分を本能的に目立たせよう、優秀に見せよう、何より他と違った存在であることを見せつけよう、そういう本能が働いた。
教壇に立つとそういうスイッチが入るのか、やられる前にやれとでもいうのか、経営学の歴史を教えるはずの授業がいつの間にか、プロレスの映像があふれかえる異空間になってしまった(苦笑)。
誰も授業で絵や映像を映して授業をしなかったころだから、僕の講義はインパクトがあった。
パワーポイントはまだなかったが、映像教材は作ることができた。
僕は学生にウケるのに力を得て、映像づくりに熱中した。
アナログ機器しかない時代だったが、それなりの映像教材ができた。
VHSと8mmをコンバートできるソニーのデッキがあって、映像を細かく切り貼りして、テキストも入れることもできた。
つまらない授業を少しでも面白くする、僕を動かしていたのはただ、その情熱だった。
いや、何かまた知らないうちに虚栄心、カッコつけているな、要するにウケたいだけだったんだよ。
映像中心の授業はオワコンかな
しかし、今はどうだろう、パワーポイントでどんな絵でもグラフでも入れられる。
WiFiが接続してあれば、教室のスクリーンには映像だって自由自在に映すことができる。
だから、誰でもある程度のビィジュアルに訴える講義ができるし、ある意味それがデフォルトの世の中になってしまったのだ。
お客さんたち(学生の皆さん)は、スマホの発達で、常に映像を見慣れてしまっている。
教室のスクリーンには、そっぽを向いて眼の前のスマホの画面に夢中だ。
そうだ、どんな絵やグラフや映像を駆使したって、スマホのエンタテイメント性にはかなうわけないのだ。
かくして、僕の見栄っ張りも限界を迎え、テクノロジーに白旗を上げる日が来たのだ。
学生たちにウケていたあの日々は、昔話になりつつある。
アナログ回帰こそが正しい授業かも
今、僕は昔ながらの板書主体の授業をしている。
もちろん、見栄っ張りの僕だから、学生の反応は気になる。
ときどきちらりと学生の方を向くと、あらびっくり、みんなけっこう、黒板の方を向いて僕の講義を聞いているではないか。
なんだ、じゃあ、板書でくどくど説明する方がよかったんじゃないか。
すると、映像やパワーポイントを駆使した授業ってのは何だったんだ。
あれは、思い込みっていうやつだったのか。
新しい表現技術を使えば振り向いてくれる、映像を使えば注目がもらえると思った。それは浅はかだったのだな。
問題は、お前が注目をもらいたい、ある種の承認欲求のカタマリになっていたことだったんだ。
素直に学生にとって、一番大事な情報を提供し、価値ある分析を届ければよかったんだ。
面白くしてウケよう、そんなよこしまな気持ちが、かえって学生の利益を損ねていたことに気がついた。
今日、小川君という学生が、教壇から元気なく降りてくる僕に何かを感じたのだろう、こんな声をかけてきた。
「先生、今日も面白かったですよ」。
僕は思わず、「嘘つけ」と言いたい言葉を飲み込んで、「そう?ありがとう」と答えた。
今日の講義は板書だけだったはず、だぞ。
経営学には向いてるかも。
冒頭、僕は大学の教師には向いてない、と書いた。
そのとおりだ。
しかし、今考えたんだけれど(笑)、経営学の教師には向いているかもしれない。
なぜならば、経営学って何を勉強するジャンルかっていうと、「差別化」なんだよ。
つまり「人と違うことを考え、やる実践学」だ。
「あれ、じゃあ、オレって、人と違うことをしなくてはならないっていう意識には、人一倍駆られてるんじゃね?」って思ったんだ。
その気持が、こんな本になったのは偶然じゃないかも。
都合のいいオチをつけんなよ!
今日も読んでくれてありがとう。
じゃあ、またあした、ね。
野呂 一郎
清和大学教授