見出し画像

梶原一騎が戦った「集合的無意識」とは何か。

この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:「マーケティングの罪」byののの。お客を育てることの現代的意義。梶原一騎の偉大さ。集合的無意識と戦うのが本当のマーケティングという奇妙な論。初代タイガーマスクのマーケティング的な意味。

昨日タッチパネルを非難したところ、”ののの”さんから次のようなコメントをいただきました。大変示唆に富んでいるので、許可を得て掲載します。

お久しぶりです。
タッチパネルはお客も育たないですよね。
長期的に見れば お客が育たなければ、板前も育たない。
その結果 何が起こるかというと、良いものが絶える。

食材も日本酒も一期一会。
海の幸は漁師と板前の目利きだったり、
日本酒も同じ蔵、同じ銘柄でも年度によって
出来が違う。おすすめのBYがある。

美味しいものを“食べたい”のと“食べてもらいたい”は
多分、表裏一体で、味覚を磨いたほうが
幸せになれますよね。

日本の宝を日本人が理解できなくなったら、
価値のわかる日本以外の人たちに流れていくし、
届け先がなければ途絶える。

マーケティングの罪なのかもしれません。

”ののの”さん

のののさんの作品群はこちら

お客を育てることの重要性

のののさんのこの文章にとても共感しました。

日本文化のすばらしさが認知されない危惧を
わたしも共感します。

つまるところ、この部分ですよね。

タッチパネルはお客も育たないですよね。
長期的に見れば お客が育たなければ、板前も育たない。
その結果 何が起こるかというと、良いものが絶える。

のののさん

のののさんは、「客も育たない」、とおっしゃいました。

非常に示唆に富む言葉だと思います。

お客さんを育てる、とはどういう意味でしょうか。

それは、客のご機嫌伺いをしない、客にこびない、ということです。

時流におもねらない、ということです。

読者を「育てた」梶原一騎


シンクロニシティかもしれませんが、のののさんのコメントが届いた昨日、授業で「梶原一騎」の特集をやったんです。

https://www.google.co.jp/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Ftwitter.com%2Fikki_kajiwara80&psig=AOvVaw1WRugy0NWuqwSatJD8Nib0&ust=1653057601645000&source=images&cd=vfe&ved=2ahUKEwjrl7HK5ev3AhVbS_UHHc4xBPUQr4kDegQIARB7

どうしてとりあげたかというと、経営学の歴史の講義だったんですが、歴史においてはある一人の人物が時代を創ることがあり、昭和の時代を作った最重要人物の一人が梶原一騎である、ということを教えたかったのです。

その梶原一騎こそ、お客さんを育てた人だと思うのです。

きのう講義で使った動画には、こんなくだりがありました。

編集者が、梶原にやんわりと書き直しを命じます。あまりに時代錯誤の描写があったようで、それをたしなめたのです。

しかし梶原は「それじゃてめえが書け」、と突っぱねたそうです。

梶原は、一度たりとも編集者の助言に従ったことはありませんでした。

あくまで、自分の伝えたいことを愚直に表現したのです。

マスマーケティングが経済をダメにする

編集者の方向性は、えてしてマス・マーケティングです。

大多数の読者が、こういう展開を望んでいるから、作家ににこう書かせよう、それが腹です。

漫画はもっとあからさまです。

とくにかつての少年ジャンプに顕著でしたが、読者アンケートなるものが毎号あって、その反応によって編集者は漫画家にこう書け、ああしろと命じてきます。

https://www.google.co.jp/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Fnote.com%2Fjumpdigitallab%2Fn%2Fn0f0ed980abbf&psig=AOvVaw0-uuXbLJRocW6lqKah2toj&ust=1653057795439000&source=images&cd=vfe&ved=0CBoQr4kDahcKEwiQjaCv5uv3AhUAAAAAHQAAAAAQAg

大御所はともかく、連載を外されたくない漫画家はたいていそれを飲みます。

読者の欲している展開は、ある意味で”集合的無意識”なのかもしれません。

漫画というものは、編集者の意向に沿って、つまり世の中におもねって世に出ていることを考えると、漫画は“時代が創っている”のかもしれません。

しかし、梶原一騎は、その集合的無意識に牙をむいたのです。全存在をかけて、抵抗したのです。

読者の期待を裏切り続けた結果、ハッピーエンド、勧善懲悪という陳腐なストーリーは姿を消し、救いようのなさ、敗者の美学というこれまでにない価値観がうまれたのです。

あしたのジョー、でジョーのライバル力石徹を殺してしまった展開は、その最たるものでしょう。

https://www.google.co.jp/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Fwww.videx.jp%2Fdetail%2Fanime%2Fv_a_tmsentertainment%2Fatms0020_0052%2Findex.htm&psig=AOvVaw3PFXUF0B36IQVHma-3g-IV&ust=1653058039023000&source=images&cd=vfe&ved=2ahUKEwiizPia5-v3AhULHqYKHegvC3gQr4kDegUIARDiAQ

読者(消費者)を突き放す所に勝機がある


人は慣れ親しんだものを好みます。

当時の少年マガジンが、少年ジャンプみたいに毎号アンケートをとったら、「力石を殺すならマガジン買わない」が、殺到するでしょう。

お客さんを教育するとは、お客さんにこびず、お客さんを裏切り、作り手のロマンを飲ませることではないでしょうか。
 
アントニオ猪木は二言目には、俺は客にこびない、と言っていました。

勝負があらかじめ決まっている的な、予定調和的なファイトを嫌ったのです。

https://www.google.co.jp/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Fthedigestweb.com%2Ftopics_detail13%2Fid%3D51319&psig=AOvVaw0fxZwSw0hj6i2-TfFbHFlX&ust=1653058127798000&source=images&cd=vfe&ved=2ahUKEwjHgKPF5-v3AhUG8ZQKHTKhD-EQr4kDegUIARDrAQ


ピカソは、大衆の好みに寄り添って、絵を描いたわけではありません。

集合的無意識とは、突き詰めれば、ありきたりな感覚、平凡志向ということにほかなりません。

人間は、自分の知識や感覚を超えたものはイメージできないからです。

初代タイガーマスクを思い出してみれば合点がいきます。

タイガーマスクのファイトは、誰かがイメージしたわけではありません。

https://www.google.co.jp/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Ftwitter.com%2F9mhbjuk7dcucrke%2Fstatus%2F1140041449137819648%3Flang%3Dca&psig=AOvVaw1q-Kb9SePMe0HlVk7Ear3j&ust=1653058268964000&source=images&cd=vfe&ved=2ahUKEwj5jMuI6Ov3AhUPDZQKHfg8DGAQr4kDegUIARCoAg

大衆の思考の限界を超えたものを提示する、それがお客さんを教育する、ということではないでしょうか。

僕は、これからのマーケティングに市場分析など必要ないと思っています。

経営者のロマンをぶつけて、市場を、お客を教育するのです。

以上、のののさんの文章を勝手に深読みしてみました。

のののさんの最新記事は、なにかちょっとシンクロを感じるんですよ、神社がテーマですがとても面白いですよ。

今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

では、また明日お目にかかるのを楽しみにしています。
 
                             野呂 一郎
               清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?