あるヘタレ日本語教師がアメリカ人中学生に教わったのは”マネジメント”
高校生のキミがこの記事を読んで得られるかもしれない利益:アメリカで日本語教師をするという現実。教育の現場でコントロールができない悲劇とは。教えることの難しさ。日本というコンテンツの持つ普遍的な価値。
日本もShow & Tell教育を導入せよ
昨日、アメリカの教師の能力を、アメリカ企業が虎視眈々と狙っている、おそらく、アメリカ経済はこの退職した教師たちのチカラで復活するだろうと話した。
今日はもう少し、アメリカ企業がいま待望する彼ら彼女らのもっている能力について、話をしよう。
アンラーニング能力は、また別に語るとして、彼ら彼女らの傑出した能力は、伝えるチカラだ。
それはどこから生み出されたかと言うと、小学校低学年からルーティンとして課される、show and tell(自分の好きなものを持ってきて、クラスでそれを説明する)という、いわば発表の授業だ。
僕がアメリカのビジネススクールで学んでいて、驚いたのがクラス単位のプレゼンの巧みさだ。
みんなひとり残らずうまい。
原稿を棒読みしている学生など一人もいない、パワーポイントなどない時代だったが、一人ひとりが聞かせるスピーチをし、身振り手振りでひきつけ、時にはグループで寸劇までやってしまう。
Show and tell教育の成果だろう。
手を上げて発言するといじめられる日本の学校
いやしかしそれ以前にも僕がいつも言う、”議論する文化“がそこにあるからだ。
まずは手を上げて自分の意見を言う、そしてそれをウェルカムする土壌があるんだ。
日本の学校は、最終的に東大に受かるだけの教育だから、ただただ教師が言うことを必死にノートし、黒板の字を書き写し、教科書を一字一句覚えるだけ。そんな議論などには付き合わない。
手を上げて何かを言う子供は、下手をするといじめられる。
大人だけじゃない、子供まで最初っから、日本の悪しき”非言語尊重文化”に毒されて、洗脳されているんだ。
まあ、そんな「おだまりっ!」文化で、show and tellを導入しようとしても、意味ないか。
首相が何でもかんでも原稿を棒読みするような国だぜ、そんな欧米流がなじむわけないか。
それでも、世界のリーダーを目指すキミには、show and tellのような、人前で何かを説明するような機会をどんどん持て、と言いたい。
アメリカの教師たちは、日常でこうしたプレゼンテーションの機会に親しみながら、自然にパブリック・スピーキング(人前で話をすること)に習熟していく。
それに加え、大学の教職課程で”伝えるプロ“としての能力を磨くのだ。
日本語教師vsアメリカ中学生
今日は、僕の失敗談を聞いてくれよ
そうさ、別に教師としてアメリカのプロたちのような訓練を受けたわけでもない僕が偉そうに、「教えるとは何か」なんてキミ達に伝えられるわけはない。
でもちょっとこの失敗談は、キミ達に伝わるなにかがある、と思ってるんだ。
それは、もう30年以上も前の話、僕が日本語教師として、ウィスコンシン州のある中学校で日本語を教えていた時の話だ。
なぜ日本語をそんなところで教えていたか。
それは、当時存在したEducational Exchange Programという国際的な奨学金制度のおかげだった。
それに応募し合格すると、アメリカの大学院で学費も、食費も、寮費もタダで勉強できるという仕組みだ。
しかし、条件がある。その大学院に付属する大学で、日本語を定期的に教えなくてはならないことだ。
僕はウィスコンシンのEdgewood Collegeという大学院に派遣され、そこでMBA(経営学の大学院課程)を履修しながら、大学生に日本語を教えていた。
契約にはなかったが、知らない間に中学生も教えることになったんだ。
日本語を教えるにあたっては、プログラム合格者44人全員が、アメリカの南部某所で、“アメリカ人に日本語を教える特訓キャンプ”に参加して、そのノウハウと実践を学んだ。
満を持して、それを実践しようと頑張ったのだが、大学生はともかく、中学生たちにはまったくお手上げだったんだ。
僕の日本語教育の先生は、エレノア・ジョーデン(Eleanor Jorden)先生という、アメリカの日本語教育では伝説の人物だった。
僕は劣等生だったが、彼女はいつもやさしく、僕の日本語模擬授業を見守ってくださった。
当時85を過ぎていたが、南部にいる僕らを指導するために、ワシントン州からクルマで何日もかけてきてくださった、タフなおばあちゃんだったことを覚えている。
制御不能クラスに学んだ”マネジメント”の意味
ジョーダン先生からは、教わったテクニックで、中学生の子供たちに日本語を教えようとしたのだが、そもそも話なんか聞いてくれない。指示をしても、あっち向いている。突然いなくなってしまう。
毎回クラスは、カオスの極みだった。
内藤哲也だ、制御不能。
指導方針も、教育テクニックもなにもあったもんじゃないよ。お手上げだ。
でも僕は、自分なりにジョーダン先生に教わったことを思い返してみたんだ。
それはただひとつ、「クラスルームをマネジメントせよ」ということだった。
マネジメントってまさに経営って意味なんだけれど、これには深い意味があって、その場面場面で解釈ができる。
その時の僕の解釈は、こうだった。
強引な意味付けで、自分を納得させてからは、クラスが少し回るようになった。
何をしたか。
空手着を着て、下手くそな空手の演武を見せたり、日本から送ってもらった歌番組のビデオを見せたり、あるときは日本料理教室を開いたりしたのだ。
いや、大げさなことをしたわけじゃない。
馴染みの日本料理屋の主人に頼み込んで、焼き鳥を焼いてもらって、子供たちに食べさせたのだ。
そんなことで2年間、子供たちと付き合ったんだ。
そうさ、まったく日本語なんて教えられなかったよ。クラスは大失敗。
でも、彼ら彼女らとは仲良くなった。
あの子達も色々と日本を知るきっかけになった、と思う。
いや、この話は単に僕が教師失格だって言うだけの話に過ぎず、クラスのマネジメントがどうこう、などは言い訳にもならない。単に失敗談だ。
でもあえて言うなら、ひどい失敗も教える糧になる、っていうことだ。
教えることに、正解はないんだと思う。
経験しながらやっていくことで、自分だけのスタイルができる。
それでいいんじゃないか、と。
だから、キミ達高校生には、あえて「教える機会を持て」、と言いたい。
今日も最後まで読んでくれてありがとう。
じゃあ、また明日会おう。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー