英語上達のためには、一度やめてみる。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:頑張って毎日勉強するのはいいけれど、たまに休んだほうが結局うまくいくかも、という体験的仮説。英語も一度やめてみると、あら不思議上達するのはなぜ?緊張と弛緩が上達には必要かも。
英語をやめてみたら
もう半世紀も英語をやっているのに、留学もしているのに、ちっとも英語が上達しません。
目標はネイティブと同じように、読み、書き、話す、聞くができるようになることですが、よくて今の現在地は2割位でしょうか。
特に読むのは、上達しませんね。
だからもう諦めて、字面を眺めるようにしています。
そうでもしないと、英語は使えない、と思うからでもあります。
言ってみれば字面を眺めるというのは速読ですが、日本語と同じようなスピードとリズムで読まないと、英語を使ってする作業全体のスピードとリズムが遅くなって、仕事にならないからです。
英語は、読むが、一番厄介じゃないでしょうか。
いくら読んでも、1ページに数個は知らない単語が出てくるし、全くもぐらたたきみたいですよね、英語と付き合うのは。
だから、語源の勉強はしているんですけれどね。
やっぱりアルファベットそのものが、日本人の体質に合わないんじゃないか、そんな情けない責任転嫁をしているのが常でした。
しかし、最近、ちょっと旗色が変わってきたんです。
中国という転機
この8月に仕事で1週間中国に行ったのですが、毎日学生の引率業務に追われ、毎日やっていた、英語の資料を読んでまとめるルーティンができなくなりました。
つまり英語から1週間離れていたんです。
そしたら、帰国して英語を読むと、これがいいんです。
中国いく前よりもちょっとスラスラ読めて、頭にはいるんです。
ほぉんのちょっとだけですけれど、気のせい、かもしれません(笑)
でも、僕は思ったんです。
緊張と弛緩ということ
実は英語だけじゃないんです。
コロナで10年続けてきた空手の稽古にいけなくなって、3年くらいたつんですが、これも気のせいかもしれないけれど、うまくなったような気がするんです。
いや、身体が以前よりスムーズに伸びやかに動くし、動作もスピーディで大きくなり、ワザも切れるようになった実感があるのです。
「英語も空手も、上達には休むことが必要」、そんな下手くその戯言を真理のように言うつもりなど、毛頭ありません。
しかし、少しだけ理があるとすれば、こんな事かもしれません。
毎日3時間くらいもう40年くらい、仕事で英語をやっています。
でもそれって、言ってみれば緊張の連続だったと思うんですよ。
偶然、それが中国行きで、一時休止という形で緊張から離れた。
そこで何か解けたんじゃないか、と感じたのです。
それは「凝り」のようなものです。
身体中が英語のコリで、こりかたまっていたんです。
休んだことで、そのコリがほぐれて、見えなかったなにかが見えるようになった、感じなかった英語の本質が感じられるようになった、そんな感じでしょうか。
空手にも、同じことを感じました。
毎日やっていて、身体が空手で凝っていた、のです。
継続は力なりだが「スキ」には敵わない
休むと何か見えてくる、なんて、半端者のしたり顔に過ぎず、「継続は力なり」こそが真理だと思います。
ただ、もしあなたが「休みたい」「ちょっとやめたい」と思ったら、それは上達の神様からの命令ではないでしょうか。
その場合、どのくらい休むべきか、離れるべきかは、神様が決めるので、心配なさる必要はありません。
また、人間何かをやめてみて、初めてそのことがスキだったことがわかる、なんてこともあります。
愛を再確認すると、それは本物の愛になります。
これはね、案外真理じゃないでしょうか。
結局、スキってことこそが、上達の最大の原動力なのかもしれませんね。
野呂 一郎
清和大学教授
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