米軍アフガン撤退のバイデン指令と孫子の兵法の関連
敵の裏をかけ
今日も孫子の兵法だ。孫子の「勝利の優先順位①「敵のシナリオの裏をかく」となっている。
僕は3つの戦いを思い浮かべる。とんでもないものを選んだチョイスを許してほしい。
敵のシナリオの裏をかいたことは皆間違いないが、それぞれ問題がある。
1. 真珠湾攻撃
1941年日本海軍がハワイ真珠湾のアメリカ大艦隊と基地に対して行われた奇襲だ。しかし、欧米の騎士道にもとる、宣戦布告なしの卑怯な攻撃とされた。海軍作戦部のトップは「アメリカを強く刺激する策は避けるべき」と言ったそうだが、結果的にアメリカの大艦隊の中枢を破壊したという成果は上げた。
問題点:後先考えていない。危惧されたように、アメリカ国民の憎悪を掻き立て、最終的に日本は最悪の終戦に追い込まれた。
ある識者は言う。「どんなに戦術的にすぐれていようが、結果的にルーズベルト大統領のもとにアメリカ国民をこれ以上なく一致団結させてしまった」。その意味で最悪の作戦ではなかったか。
2. 特攻隊(特別攻撃隊)
1941年から44年頃太平洋戦争で行われた、日本軍による航空機と魚雷に自爆作戦。特攻が成功したのは、最初のうちだけ。レーダーによる対空管制、新型戦闘機による迎撃などで、目的を達する前にほぼ撃ち落とされた。
問題点:特攻という命を顧みない攻撃を認めてしまう精神自体が問題。そして予想される迎撃に対して何のてだても考えなかった。
3. インパール作戦
1941年3月から7月にかけて帝国陸軍が、イギリス領インド北東部インパール攻略を目指した作戦。兵站(前線の部隊のために食料、馬、軍需品などを補充すること)を無視し、撤退勧告を無視した結果、約10万いた兵士の殆どが戦死、餓死、病死した。
敵のシナリオの裏をかいたといえるのは、敵軍のイギリス軍隊が、まさか大量の日本兵が丸腰で食料にする牛を引き連れ2000メートル級の山岳地帯に乗り込んでくるとは、考えていなかったからだ。イギリス軍としてみれば、包囲して攻撃してしまえば、あまりにも簡単に勝利できたので、拍子抜けしたに違いない。
問題点:「インパール作戦」を立案・指揮した第15軍司令官の牟田口廉也(むたぐちれんや)中将の、兵站を無視した精神論。しかし、その作戦を認め、実行を許したのは軍の上層部だ。トップの意思決定の失敗と言える。
現代における「敵のシナリオの裏をかく」の解釈
1. 兵に命をかけさせることは、現代では無理
奇しくも、今日、タリバンがアフガニスタン政府を乗っ取ったよね。いま、テレビでバイデンがこんな演説をしている。「これ以上、アメリカの兵士の命を危険にさらす意味があるのか!」。
演説しただけで、記者会見はスルーしちゃったけれど、この言葉は重いと思うんだ。
昔も今も命が尊いことは変わりないけれど、特攻なんて論外だけれど、バイデンさんの言うことは、現代という時代を象徴しているとは言えると思う。
2. 情報収集が優先順位一位
相手のウラをかく、は、現代ならまず、相手の情報収集を徹底することだと解釈される。真珠湾のときだって、傍受だとか、暗号解読だとか、スパイだとかやっていたはずだが、現代ならばハッキング技術の戦いだろう。
3. プランA、プランB、プランC
最近この言葉が流行っているよね。プランBって。次の備えをしなさい、っていう教えだよね。日本は特攻のあとのプランBがなかった。藤井翔太棋聖じゃないけれども、100手先が読めて準備できれば、最強だろう。
今日も最後まで付き合ってくれて、ありがとう。
じゃあ、また明日。
野呂 一郎