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紙の新聞は人のぬくもり。デジタルが遠く及ばないその伝える力

この記事を読んであなたが得られるかも知れない利益:デジタルvsアナログ論争番外編的な知識と理解。肉体感覚という今後超重要な新しい視点。

30年連れ添ってきたのに・・・

今日10月1日から、紙のThe Wall Street Journalが届きません。何たる喪失感。



30年間毎日あの紙の新聞が届いてたのに。いなくなってはじめてわかるそのありがたさ。まるで恋愛のようです。

まあ確かに、皆さんのようにデジタルネイティブではなく、最初っから紙で育った世代だから、ノスタルジーなんだろうと言われればそれまでです。

しかし、紙で育てられたといみじくも言いましたが、まさに紙の新聞とふれあい、見つめ合い、時には破り、頬ずりをし、涙を流し、怒りに震え感情をぶつけ合った日々は、まさに紙が育児をしてくれたのです。

それは喪失感があるのは当然かも知れません。

ロボット=デジタル新聞に身を委ねる恐怖

僕はだから、紙=人間と思っています。ここまで紙というお母さんに育児をされてきました。デジタルの新聞を読むのは、ロボットに育児をされているようなものです。

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これからも僕には育児が必要です。でも本当の母はもういません。

だからしょうがない。デジタル母に育児してもらいますよ。

でも、紙という母親の育児の力=伝える力は、ロボット母より、遥かに上なのは、スイッチして検証するまでもないよね。身体と心全体で関わってきた分だけ、伝える力は強いはず。

明日から元気がなくても怒らないでね。(笑)

さて、さて、

前回、紙のThe Wall Street Journalがなくなったと嘆いて、まだ嘆き足りないのかとおっしゃるんですね。

第三者のコメントがnote記事の質を上げる

そのとおりなんですが、今日は僕の敬愛する、「ののの」さんがまたこの件で我が意を得たりなことをおっしゃってくださっているので紹介したいと思います。

いまこそ紙の新聞がいいですよね。
12.9インチiPadでも画面は小さくて、スクロールさせるより紙の新聞広げて視線を動かしたほうが遥かに認識率が高いと僕は思います。
印刷されたものを自分で購入してしまえば、検閲されて証拠隠滅されること無く手元に記事が所有できる点も強みと感じます。共感です。

のののさんは、いつも僕が気づかない視点をくれる。科学的な観点&自分の身体感覚という現代人が忘れ去った武器を持って。

のののさんの、「手元に記事が所有できる利点」という指摘は、目を開かされた思いです。

いま国が企業がもっとも重要視しているのがサイバーセキュリティですよね、それが脆弱なことは随分指摘されています。某銀行のシステムダウンじゃないけれども、もっと大変なことが起こりますよ。

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あなたのデジタル情報、絶対安全と言えますか。

のののさんはこんなことも言っています。

個人的には現行Amazon Kindle全機種がフロントライト搭載になってしまったので、それってE Ink(電子ペーパー)の利点を帳消しにしちゃっているので残念に思いながら、紙の新聞を見直してます。紙面が発光しちゃダメだし、紙の方が目に優しいですよね。

のののさんはEインクという最先端テクノロジーをも試して、それでも紙のほうがいいって言ってるんです。

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「紙面が発光しちゃだめ」は本質です。テクノロジーはそれしかできない、どうころんだって、紙のほうが目にやさしいんです。

こうした記事に対して第三者が有益なコメントをもらえる、noteのありがたい仕組みに感謝します。

こうした第三者のコメントであなたの記事がまた生きる、別の違う価値に飛翔する。それをまたこのように、記事にして読者の皆様にご披露する。こういうやり方は、ありではないかと。

別の記事ですけれども、これも、のののさんの名言です。

あえてガラケーにする。それだけで監視やパスポートからログアウトできそう。

自分の経験プラス科学的検証


自分の経験、そこで得た感じを僕らは、感じようともしない。そこに発見が、気づきが、表現(文学)という無限の可能性があり、ぼくはのののさんの何気ない文章に、いつも「ハッ!」とさせられているのです。

これにもハッとしました。名言ですよ、これ。↓

明日またこの続きをお話します。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

                             野呂 一郎

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