今年は「昭和回帰すべき」の理由。
この記事を読んで、あなたが得られるかも知れない利益:なぜ今中森明菜なのか。年始のテレビは昭和一色なのはなぜか、考えてみた。昭和の芸能界のブーム検証。阿久悠に学べという異論。
中森明菜特集って・・
noteを書くために、The Wall Street Journal電子版の最新号をパソコンで読んでそこからネタを探っているのですが、テレビの音が聞こえてきています。
スター誕生秘話、中森明菜特集、田原俊彦、夏色のナンシー、あ、これは歌の名前か、そう早見優ですね・・えーっ、ゴールデンタイムで昭和の歌謡界関係の番組が3本も同時にやってるんですね。
僕の高校時代の友人がテレビマンなのですが、元ディレクターの彼の口ぐせは「テレビは視聴率が命」です。
とにかくテレビは視聴率しか考えておらず、彼も実際、視聴率低下が原因で、ディレクターを外されたというのです。
視聴率はマーケティングと言い換えてもいいでしょう。
なぜ、新年早々から昭和一色なんでしょう?
それは視聴率が取れるから、です。
その理由は2つあります。
昭和のエンタテイメント復活の合理性
理由その1はこれです。
テレビを見ている人々の中心が昭和世代だから
いわゆる若者世代はテレビ離れしており、いまテレビを見ているのは中年以上の世代です。
特に昭和世代です。
年末に昭和のスターが大挙出てくる番組が視聴率を取れると考えるのは、合理的ですよね。
理由の2番めは
エンタテイメント界が煮詰まって、昭和の熱狂に戻ろうとしているから
です。
紅白の視聴率が過去最低を更新、というニュースが流れていますが、メガヒットを飛ばしているスターが全然いないからです。
年末の紅白は韓国の歌い手ばかり、日本のガールズグループも韓国プロデュース、一部の若者に人気のあるグループも一般的な知名度は著しく低く、歌でなくダンスで見せるパフォーマーたちです。
紅白の視聴者層は中高年なのに、半分以上が馴染みのない出演者では、視聴率とる気があるのか、と疑問に思ってしまいますよね。
そこへ行くと、昭和はほぼみんなテレビを見ていました。
テレビという産業に熱があり、またテレビに出ることが若者の最大の成功とされた時代でした。
芸能界志望者も多く、また若者世代の人口が今とは桁違いなので、テレビ向けの表現者が結果として多く輩出され、それが芸能マーケティングにまんまと乗っかり、テレビと芸能界は我が世の春を満喫したのです。
昭和のテレビマーケティングは感性
テレビにとって昭和という時代は、ゴールドラッシュでした。
昭和という金脈に人々が殺到した時代で、テレビが冬の時代に入った今、昭和回帰は必然のようにも感じられます。
さっき、テレビ=視聴率=マーケティングと申し上げましたが、さっきやっていた山口百恵を誕生させた「スター誕生秘話」みたいな番組を見ていると、また僕の知っている知識によると、昭和スター誕生マーケティングみたいなものがあるんですよね。
それは、感性でスターの定義をすること、です。
テレビは、まさに今で言う時代遅れのマス・マーケティング(大衆をターゲットに想定)の代表です。
だから、昭和マーケティングとは「大衆が今なにを欲しているのか」をつかむことになります。
そのためには、必然的にデータに頼ってはダメなのです。
昭和はもちろん、いまのマーケティングの主流である、データマーケティングなんて言葉はありませんでしたから、特に数字という発想はありませんでした。
その代わりに何があったか、それは「時代を読む感性」です。
阿久悠というマーケティング
芸能界、歌謡界を牛耳る、大物の感性によって、テレビ界は動かされていたのです。
その中心が「昭和の作詞王」、阿久悠でした。
彼が時代を映したことばを創り、それを大衆に最もよく伝わる音とリズムで、時代が求めるスターたちに歌わせたのです。
中森明菜、山口百恵といった、ミステリアスな、「暗い」とさえ言っていいような陰影のある者たちが、ピックアップされ、ブレークしました。
売り方も、時代の要請に応えました。
ピンクレディのあの露出の多いきわどい衣装だとか、売れなかったキャンディーズのセンターを伊藤蘭にして「年下の男の子」というあざとさを押し出した楽曲を作りブレイクさせたのが、その象徴と言っていいでしょう。
阿久悠とその周辺の感性が、昭和のテレビを牽引したのです。
今年は昭和の実験をしたらどうか
時代が、ビジネスが小さくなっています。
データドリブンとか、AIのせいです。
それらは、単に情報や数字で物事をとらえようとしているだけ、なんですよね。
そうじゃなくて、身体で感じること、つまり感性を働かせて、変化を、時代をとらえないと、これからはビジネスも政治もうまく行かないんじゃないでしょうか。
かの昭和の詩人、寺山修司はこういいました。
「書を捨て町に出よう」。
いま風に言えば「スマホをやめて、旅に出て、時代の声に耳を澄まそう」って感じでしょうか。
阿久悠の時代の読み方を、以前にnoteに書きました。
参考になるかもしれません。
野呂 一郎
清和大学教授