「知的生産」は直ちにやめよ。
この記事を読んで高校生のキミが得られるかもしれない利益:昼食を食べに外出して、ブックオフに寄ったら、よくある「知的生産の方法」的な本が目に入ったので読んでみたよ。書いてあることはごもっともだが、そのとおりだが何か違和感を感じたんだ。キミに必要なのはこれじゃないな、という例によって余計なおせっかいさ。
いやいややるのが勉強
さて、いつも言っているように高校生のキミがやっているお勉強は、やらされているのであって、主体的にやっているのではない代物だよ。
つまり、自分で興味を持って没入し、先生や友人とああでもない、こうでもないと言いながら、時に自分だけの発見にエキサイトする、という機会じゃないって。
それはズバリ受験のため、なんだ。
答えがあり、それを覚える。
答えがあるということは、それに至るまでの最短距離、つまり要領というものが必然的に発生し、それを教える塾だの、学校以外の教育だのが出てくる。
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それは面白くないし、当然のことながら、つらい。
だから、学校の勉強がつまらないのは、必然なんだ。
間違ってないよね?
なぜなら、勉強って「つとめしいる」って書くだろ。
日本人ってマゾかよ・・(笑)
大人の勉強が知的生産の方法か
おとなになったって、変わらないのさ。
それが「知的生産の方法」のたぐいだ。
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時間の効率的な使い方、情報の集め方、整理の仕方、コミニケーションのやり方、などが指南されているのだが、学校と同じく、そこには答えがある。
しかし、僕に言わせればキミの学校の勉強も、大人の知的生産やらも、そもそもが間違っている。
いい学校に行くため、社会で出世するための要領、道具に堕しているからだ。
そうじゃなくて、まずは子供にも、大人にも、エサを取り上げないといけないのだ。
いい学校に行くだの、偉くなるだのの、不純な動機をなくすことだ。
ある知的な領域を純粋に対し興味を持ち、そこに分け入ること、これは人間の本能であり、学校はそれを助長してあげるのが、その最も大事な使命だと僕は勝手に考える。
わかってるさ、そんな現実離れした青臭い話はもういいよ、若いのにすでに世の中がわかっているキミは、そう呆れるんだな。
でも、そんなことだからおとなになっても、キミのパパみたいにおとなの世界のお勉強を相変わらずやらされて、挙句の果ては僕みたいに「知的生産の方法」みたいな本に飛びつき、一生懸命メモをとったりして”お勉強”するようになっちゃうんだよ。
暗記のクセが一生抜けないとどうなるか
結局学校のお勉強も、大人の知的生産も、足りないのは「議論」ていうひとことなんだよ。
議論の反対は、暗記、なんだって。
暗記、つまり正解を示されて、それを覚え込むことだ。
そこには、考える、とか批判するとかはない。
なぜならば、自分の考えを持ったり、それに疑問を持ったりすると、暗記ができなくなっちゃうからだ。
キミがやらなきゃならないのは、正解を覚え込むこと、つまり暗記なんだよ。
だから、議論や批判はもってのほか、なんだって。
キミはそんなことをせず、ひたすら赤本(学校別過去問集)を覚えて、いい大学に行った、めでたしめでたし。
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でも大学でも待っているのも、暗記さ。
正解を覚えさせる、退屈な作業だ。
それでいい成績をとって、おとなになる。
おとなになっても、勉強は終わらないさ。
そう、それが「知的生産の方法」だよ。
そこで、またおとなの世界の正解を覚え込む。
そう、高校生から、いや幼稚園からそうなんだ、そしておとなになるまで、みぃんな暗記なんだよ。
一方的にこれが正解と言われるものを、覚える作業を強いられている、ってわけなのさ。
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でもその”お勉強”が楽しい、っていうお友達もいる。
一方的な先生や教科書の教えを覚えることが、知識を増やすことは喜びだって感じる若者もいる。
固定した知識は使えない
こうした出来合いの一方的な知識を覚え込むことは、高度経済成長期で欧米のマネをしていりゃよかった時代には、役に立った。
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でも、完全にブレイクスルー(画期的な問題解決)が求められている時代にはからっきし役に立たない。
議論と疑問と自らの頭で考えることによって練られた頭脳がなくては、応用問題は解けないんだって。
だけど、日本は未だに東大を崇拝しているわけでしょ、あれは大人しく議論もせずに、疑問も持たずに正解をたくさん覚えた人たちの、終着駅だよ。
疑問があったら、大人しく大人が押し付けた正解を、子供の頃から大人しくずっとやりきれてない、って。
野生に帰れ
知識が大事でないというつもりはない。
知識がなければ、新しい体系や理論もできない、というのはわかる。
しかし、知識じゃないんだよ、大事なのは。
多面的に物事を見ることだったり、反対意見に耳を傾けることだったり、それ以前に自分はどう考えるか、なんだって。
しょせん教育はベルトコンベアで動く大量生産方式なんだから、一つの正解を覚え込ませるしかない、っていうのはわかるけれど、議論したり、批判したり、自分で考えたり調べたりさせない教育が、日本の今のどん詰まりを呼んでるんじゃないのかなあ。
でも、僕が最も危惧するのは、ほとんどの日本人は「受け身の勉強」を強いられてきたという自覚がないことだ。
それは、多くの大学を見てきてわかる。
学生の目の輝きなんかどこにもない。
学問っていうのは、ロマンであり、楽しいものなんだ。
学生はそれをやりたくて、入ってきているはずだろう。
新しいエキサイティングなことに遭遇していて、それを学べるってのに、スマホを覗き込んでいるだけ。
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でも、それを非難するにはあたらない。
だって、いままで正解を覚えるだけで、先生に反論したり、友達と議論したり、批判したりするっていう、学びの本当の面白さを教えてもらわなかったら、そうなっちゃうよ。
大人に足りないのは、「知的生産の方法」なんかじゃないんだって。
野性だよ、つまりガッツリ学びたいっていう本能を解き放つことなんだよ。
知識を合理的に仕入れるとかの要領なんて、どうでもいいんだって。
学ぶことに飢えることなんだって。
そうすれば、知的生産なんて小賢しいことはぶっ飛ぶ。
大爆発が起こり、あなたの知性も爆発するよ
その意味で、大学入ってげんなりしているキミよりも、学校に馴染めず悶々として、大学にいかなかったキミのほうが、知性の爆発に近いんじゃないか。
でもそのためには、コーチが必要さ。
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キミに自由に語らせ、批判させ、コーチをもやり込めさせるような、ナビゲーターが必要さ。
えっ、「知的生産」を読んでるサラリーマンのあなたも、やりたいって?
よろしい、でも、その本を捨てなよ、まず(笑)
いくつからでも、ほんとの勉強のやりなおしはきくぜ。
おれもやらなきゃ。
一緒にやるかい?
野呂 一郎
清和大学教授