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「しじみ汁理論」で考える、電車で化粧は是か非か。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:電車で化粧の是非?いまさら?でもあえて考えてみました。しじみ汁の貝の身は食べるべきか、残すべきか理論で考える、マナーとは何か。
久しぶりに電車でお化粧に遭遇
GWで山手線に乗って立っていたら、眼の前に座っている若い女性が、お化粧を始めたんですね。
あー、最近この光景を見てなかったなぁーと思いながら、女性の様子を盗み見していました。
一生懸命ファンデーションを塗って、次はまつげを整えて、夢中でお化粧をしています。
![](https://assets.st-note.com/img/1714462434681-f90VabXeYh.png)
「これは若い女性の生態を堂々と観察できるチャンスだ、何か世相の一端でも感じて、noteに書きつけることができるかもしれない。」
などとほくそ笑み、長期戦の構えをしたのです。
でも、僕はだんだん不快になってきて、観察をやめて他の車両に移りました。
電車で化粧がいい、悪いを論じるつもりなどありません。
昔の女性は決してしなかったけれど、今の女性はする、っていうのは、時代の価値観の違いだと思うからです。
でも、こんなことをいうとその女性に失礼かもしれませんが、3駅通過する時間、僕は「電車でお化粧」をずっと見ているのは、生理的にダメだとわかったのです。
行為と社会性
電車で化粧は、法律で禁じられている行為ではありません。
だから、堂々とやっていいわけです。
でも、この所作はかつて社会的な物議を醸したことがありますよね。
でもここ最近全くお目にかかることがなく、改めて検証する機会に恵まれたのですが、心と体が拒否反応を示したのです。
これは一つ化粧だけの問題ではないな、と思えてきました。
言葉遣い、服装、挨拶、食事の作法等々も、同じかな、と。
要するに社会性というか、その行為が社会に受け入れられるか否か、
という問題かな、と思ったのでした。
しじみ汁の正しい飲み方
最近、いわゆる社会的禁忌行為に関して、腑に落ちる論考を目にしたんですよ。
それは、「とんかつ屋さんで出される、しじみの味噌汁の正しい飲み方」について、です。
![](https://assets.st-note.com/img/1714462306421-vbkvLBb0p8.png)
ポイントは、しじみの貝は食べるべきか、残すべきか、ということなのですが、正しい答えは「どちらでもいい」でした。
ただ、貝を手にとって口に持っていき、その身を歯で剥がすのはタブーだというのです。
シジミの身を食べるならば、お椀の中でお箸で上品に取り出し口にいれるのがマナーだというのです。
要するに、「その所作が同伴者に不快に思われる行為はマナー違反であり、やってはならない」、というのが正しい考え方だ、というのです。
この論者によると、これはしじみ汁だけではなく、あらゆる行為に通底するマナーの原則だ、というのです。
僕はちょっと腑に落ちた気がしました。
今後は、他人の前で何か所作をする時に、こう自問自答しようと思います。
「お前がやろうとしているその動作、見てるかもしれない人を不快にさせないか?」と。
考えてみると、noteもそうなんですよね。
この語句はどうかなあ、こうした表現は誰かを不快にするんじゃないかなあ、最近僕も気をつけるようにしています。
野呂 一郎
清和大学教授