2024紅白に見る、現代におけるポップスの矛盾。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:ポップスを流行歌と訳しても、歌謡曲と訳してもいい。紅白は日本のポップスの祭典のはずだ。でもそもそも、「流行歌」という製品自体が作られなくなってしまったのかもしれない。それでも1年の流行歌を無理矢理にでも決めなくてはならない紅白。そうなると、無理くりな言い訳のオンパレード、醜い舞台裏の詮索になって、ますます視聴者も離れる、という悪循環が来てるのでは?
NHKの苦しい言い訳
NHKでは出場者選考基準を「今年の活躍」「世論の支持」「番組企画にふさわしいか」だとしていますよね。
今年の活躍とは、CDが何枚売れただとか、ダウンロードの回数、YouTube、Spotifyの登録者数やYouTubeストリーミングサービスにおける再生数ということになります。
世論の支持、これは曖昧ですよね、客観的な基準がないですから。
「番組企画にふさわしいか」、言ってみれば演出の方向性に合うか合わないか、ということですが、これは「NHKの都合のよい出演者」を出す言い訳になっています。
NHKの大河に出たとか、レギュラーもっているとか、NHKに日頃貢献している歌手たちが、「番組企画にふさわしい」のです。
数字と現実の乖離
さて、では、先に出したレコード(CD、ダウンロード数等)客観的な数字、は本当に信用できるのでしょうか。
誰がどうとはいいませんが、きょうびはファンクラブでひとり何人もCDを買うのは当たり前です。
ダウンロードも、各種再生も同じ。
そうするとどういうことになるか。
数字は持っていても、世の中に楽曲が全然浸透していない、という現象がおきています。
昨年の紅白で、あなたの中で、持ち歌と歌手の名前が一致したケースはどれだけあるでしょうか。
もちろん、NHKはこうしたフェイク的な表面上の記録の判断はできないから、客観的な”実績”として評価するでしょう。
しかし、その人気が”組織票”であるかどうかは、他の数字にならない情報から判断せねばならず、それがNHKのいう「世論の支持」だと考えられるでしょう。
ダンスグループというビジネスモデル
ストリーミング再生ミリオン達成!などと言う割には、持ち歌は聞いたことない、そもそもその歌い手の名前は知らない、本当にこの歌ヒットしてるの?
はやり歌の目利きである若者でさえ、そう思うのが、近年の紅白の矛盾ではないでしょうか。
今日はあえてNHKを擁護しましょう。
悪いのは、時代に届く歌がなくなったせいです。
もし、いい歌であれば、誰もが歌い手とその歌を知ることになるでしょう。
昔みたいに街角で有線に乗ったメロディーが流れるとか、ラジオで歌が聞こえるとかはないにせよ、いい楽曲であれば、人は思わず口ずさむはず、です。
自然にCDも売れるし、歌い手の名前と楽曲はやがて人々の中で一致していきます。
去年も、一昨年も、そのまえも、もうずーっとそういう現象がないです。
その一つの理由が、マーケティング優先の音楽作りではないでしょうか。
かつてあった阿久悠という王道
テレビに出る演者は、ほぼ、ダンスグループかフォーティなんとかグループです。
若い男女にキャーキャー言わせるには、イケメンを踊らせればいいし、ヒット3曲で、武道館、5曲で東京ドームに進出です。
女性多人数グループも、まだまだ柳の下に二匹目のドジョウがたくさん泳いでいます。
もちろん、それが悪いわけではありませんが、経済合理性を考えれば、見た目最優先で可愛い子たちを集めて踊らせときゃいいんです。
でも、ぼくなんかは、音楽は誰のものなの?、と考えてしまいます。
個人的には、昭和の大作詞家「阿久悠(あくゆう)」が消えて、歌はなくなった、と思っているんですけれど、「心に染み入る昭和メロディー」なんてノスタルジーを持つ老人は、音楽マーケティングにとっては、邪魔な存在なのかもしれません。
野呂 一郎
清和大学教授