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プロレス&マーケティング第79戦 「週刊ファイト」というマーケティング
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:マーケティングにおいて欠かせない要素は言葉。そして「プロレス言語」をあやつるプロレスマスコミこそ、プロレスマーケティングのカギを握っている。トップ画はhttps://x.gd/Aegy4
週刊ファイトの呪い
きのう、20年前にプロレスでなく、バスケットボールの記事を書いていた事を申し上げました。
当時書いていた記事は、試合の実況はさておいて、バスケットボール以外の選手のプライベートや、秘密の話、隠れたエピソードなどに重点を置き、独自取材で選手の心理をえぐり、紙面に反映させるというものでした。
そうなんです、プロレスをスキなあなたなら、こう言えばピンとくるかもしれません。
その書き方は、
「週刊ファイト」だったのです。
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プロレス的な感性をバスケに活かせるか
僕は、例の高橋本騒動(いわゆる新日本プロレスのレフェリーをしていたミスター高橋の”暴露本”)で一番残念だったのは、あの余波で僕が一番好きだったプロレス媒体である「週刊ファイト」が廃刊に追い込まれてしまったことです。
週刊ファイトほど面白い雑誌は、世の中にありませんでした。(あくまで私見です)
週刊ファイトの紙面には、プロレスの技や試合展開などは、一言もないんです。
あるのはプロレスに関係する人たちのゴシップ、噂話、裏話、書き飛ばしの推測記事、それだけ、です。
僕が編集長?をつとめていたその大学スポーツ新聞も、知らないうちに、「週刊ファイト」になっていたのです。
プロレスの影響力って恐ろしい、ですね。
って、これは僕だけの話なのかな?(笑)
でも、週刊ファイトに狂っていた、当時の僕の書いたバスケットボールの記事が賛否両論だったのも、当然といえば当然ですよね。
I編集長よ、永遠に
当時の週刊ファイト編集長は、「I(アイ)編集長」こと井上義啓(いのうえ よしひろ)氏でした。
彼のすごいところは、誰にも負けない「プロレス愛」でした。
締め切り間近だと言うのに、編集長は仕事場近くの喫茶店で、ファンの求めに応じ、いつまでもプロレス雑談に興じています。
プロレスが好きだから、プロレスファンが望めばいつでも果たし合い、いや、話し合い、に応じるのです。
これをプロレス界の隠語では、「I編集長の喫茶店トーク」と呼び習わしました。
![](https://assets.st-note.com/img/1723539069825-aRvE43rDfN.png)
I編集長は、ファンとのトークから、プロレスの本質や新しい見方を自分のものにしていたのです。
週刊ファイトが消えたことは、プロレス文化の一角がなくなったことに等しいことです。
まあそれが井上氏の弟子である、週刊プロレス元編集長ターザン山本氏、これもまた廃刊になった週刊ゴング元編集長金沢和彦に受け継がれているという説もありますが、僕はI編集長は一代だと思います。
言語文化がジャンルを支える
プロレス文化はジャーナリズムだけではなく、様々なジャンルに影響を与え、私のような末端をすらいまなお照らしているのです。
マーケティングのオチをつけると、やはりマーケティングって言葉、だと思うんですよ。
そして、マーケティングを支えるのは言論であり、事実を伝えるジャーナリズムだと思います。
しかし、プロレスジャーナリズムは危機を迎えています。
週プロ(週刊プロレス)と東スポ(東京スポーツ)しか、プロレスを報道するメディアがないからです。
![](https://assets.st-note.com/img/1723544382376-KRgnqjZQdT.png)
もちろん、インターネットのサイト等ではいくつか見つかるし、noteでも様々な方々がプロレスを論じています。
しかし、やはりそれらは専門の記者がいて、編集部があり、プロレスで飯を食っているプロの集団とは別物です。
業界をときに褒めそやし、ときに批判し、叱正し、プレイヤーとともに泣き、笑い、苦楽をともにする中で生まれる言葉こそジャンル独自の文化を創り、それが業界の発展の源になるのです。
「週刊ファイト」とI編集長、よみがえらないかなあ。
えっ、お前のnoteも週刊ファイトだろう?って。
そうかも。(笑)
野呂 一郎
清和大学教授