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大学の授業は聞いてもらえなくて当然か
正直、あきらめてる
大学は適当にやっとけ、みたいなことを言った。それは、半分あきらめなんだ。
いい加減にやっていいものなんかないさ。
僕も大学で教えることはいい加減にはやってない。
どうにかして面白い、ためになることを最新のトピックスを踏まえて教えたい、そう願って毎回少なからぬ時間をかけて準備する。しかし、僕の努力はたいてい実を結ばない。聞いてもらえないのだ。一部の学生は聞いている。しかし、全体としてのムードはしらけている。
「この俺の授業が聞いてもらえないんだ」、半ば絶望的な気持ちになる。
しかし、いま、昨年高校生だったキミたちに、いきなり自由になってその味をすぐに覚えたキミたちに、どんな面白い授業だって聞いてもらうことなんて無理な相談なんだ。
どんな魅力ある授業もケイタイの魔力には勝てない
もう一つの犯人は、ケイタイだ。今の大学教員の最大の敵である。
もうケイタイはキミたちのライフスタイルの中に入り込み、と言うよりも体の一部になり、人のいうことすら聞かないでケイタイをいじっている。
ましてや聞く義務のない授業なんて聞くわけない。大学によってはケイタイ禁止をルール化しているところもあるが、2台目があれば意味がない。
これはどこの大学がどうの、という話じゃないよ。
おしなべてみんなそうだ。
ただ、僕は講義を聞いてくれない大学生を責めるつもりはまったくない。
経営学は客を引きつけられなければ負け
結局、俺の授業に魅力がない。それに尽きるのだ。
経営学の教師は、言い訳なんかできない。なぜならば、経営学はお客さんをこちらに向かせることを教える学問だからだ。その経営学を教えている僕が、「生徒が聞いてくれない」なんて愚痴ったら負けだろう。いや、情けないことに、負けているんだよ。
ただ、内心さっきもちょっと言ったけれど
「この俺の最高の授業を聞いてくれないのか。こいつらは誰が何をやっても興味を示さないんだろうな。ケイタイに情熱があればいい、でもただぼうっといじっているだけだ。でも、大学入るまでやりたくない受験勉強を強いられてきたらこんなんなっちゃうんだろう」。なんて、少しそう思う。
しかし、それでも僕の情熱は教室で燃え盛る。
「聞かなくていい。キミの魂は聞いてるから。出席はしろ、キミが聞かなかろうが、寝てようが、この教室に一緒にいて一緒の空気を吸っている限り、キミの魂には響いてるから」。
などとわけのわからない理屈を言うのが精一杯なのだがね。でもこれは半分本気だ。
社会全体に情熱のない日本
そんなわけで僕の個人的な「大学」の話をしたけれど、気になるのは、だから、キミたちの情熱のなさ、だ。授業がつまらなくても文句の一つも言わない。やる気がそもそもないからだ。
僕は人間の最も優れた才能は、情熱を持てる、ことだと思う。
しかし、いまは社会全体がキミたち高校生、大学生に情熱を持たせない。
それは社会が悪い、大人が悪い。しかし、大学に情熱を持てない元高校生たちは気になる。
明日は、僕が体験した、奇跡の大学、最高の大学生たちを紹介しよう。それは千葉商科大学、だ。
今日も読んでくれてありがとう。
また、明日、行くぜ!
野呂一郎