会社とは悪魔が棲む場所。
この記事を読んで高校生、大学生のキミが得られるかもしれない利益:会社には期待してはならない理由。部署にこだわることは、なぜ意味のない行為なのか。仮に希望の部署に行っても、キミのポテンシャルや創造性がなぜ伸びないといい切れるのか。会社は伏魔殿?ってどういう意味。
積極性を奪われている日本の若者
結局、この仕事じゃないといや、この部署じゃないと辞める、っていうのは、一見積極性、自発性があり、はっきり自分を持っているように見えて実は、消極的でひとまかせな態度なんだ。
それは、自分のスキな興味のある分野をやりたい、部署で働きたい、っていうこと自体が、能動的な考えや行為ではないからだ。
例えば製品開発を希望しているキミは、製品開発部門に入って、いろんなことを見て聞いて、体験して製品を作りたいと思っている。
つまり、「教わることを期待しているんだ」。
それは、キミが学校で今までやってきたことと同じ態度だ。
「はい、国語の授業です、テキストを見て下さい、この主人公はこういうつもりでこう言ったのです」。
先生はそう教えると、キミはすかさず先生の教えをノートに書く。
「はい、理科の時間です、あらゆるものは分子からできており、分子は2つ以上の原子からできている、おぼえて下さい」。
キミはまたノートに先生の言葉を写す。
会社に入ってもキミのその癖は治らない。
誰かが解答を教えてくれて、それをノートに書いて覚えようとしている。
この態度に欠如しているものはなんだ?
それは自分で調べ、考え、先生の教えという権威に疑問を持つ姿勢だ。
教育とは、知識を教わるものじゃなく、態度、姿勢を教えるものなんだ。
以下は、僕が10年前、スロベニアで行われた世界経営学教員合宿(IMTA)で、学んできた、「教育とは何か」の図さ。
受け売りだけれど、これは正しいよ。
会社に答えはなく、答えはキミが持ってる
だから会社に入っても、そこに答えがあると思って、教わろうとする。
「この部署で働きたい」と言うと、一見、目的意識があって、はっきり自分の方向を決めていて感心な若者、に見える。
しかし、僕に言わせれば、それは「他者が教えてくれる」ことを期待する、受け身の態度でしかない。
きみが学校で学んだのは、餌をもらうために口を開けていることだけだったのだ。
学ぶというのは、本来自分からアクションを起こすことなんだ。
図書館で調べ、本を読み、考え、書いてまとめる。
こういう態度を誰も教えないのが、日本の学校だ。
特に今の時代大事なのは、情報をアップデートすることだ。
技術でも、歴史でさえも最新情報でアップデートし、これまでの常識がどんどん変わりつつある。
大学のセンセイや企業の研究者が、それをしているとは限らないし、好奇心旺盛で勉強しているキミのほうが、案外先進的な知識を持っているかもしれない。
だから、専門部署で勉強したいなんていい草は、単なる権威主義なんだって。
自分で勉強する、って姿勢を、日本の小中高ではキミに教えてこなかったんだって。
だから、キミは「研究開発部門で働きたいですっ!」なんて言うんだよ。
期待しちゃダメだって、キミのポテンシャルが同調することで、潰されちゃうよ。
積極性とは教わらないこと
そうじゃなくて、例えば新しい噛みごごちのグミを開発したいんならば、まずグミとは何か、グミの強度の定義を調べ、各社のやり方を比較し、問題点を列挙し、最後仮説を立て、それを文章にまとめる、これをやれよ。
これが積極性なんだって。
キミの積極性っていうのは、先生の言う事や教科書を丸暗記し、何も考えず、批判もせず、他の生徒とディスカッションもせずに、ただその答えを入試問題の答案になすりつけていただけだろ?
企業の開発現場も受験秀才ばっかりだから、おそらくそういうやり方だよ。
つまり、キミが憧れる専門の部署に行っても、創造的な商品なんて開発できないって。
希望の部署は希望じゃないよ
はっきり言おう、キミの受けてきた教育は、キミに受け身の態度を強いて、知識を詰め込まされただけだ。
それでは、受験には成功するかもしれないが、これからの世界のビジネス競争には勝てないって。
日本が30年間低迷してきたのは、日本のエリートのこうした脆弱性にある。
知識はあるけれど、正解を覚えるだけ、解法をなぞるだけ、批判もしない、ディスカッションもしない。
能動的な態度がまるで身についてない、いや教師が教えないから、創造力が育たないんだ。文系、理系を問わず、ね。
60年代から80年代の高度成長時代までは、それで良かったんだ。
欧米の高い技術を真似すればよかったからだ。
しかし、90年代からはそうは行かなくなった。
真に自分から学びに行くという姿勢がなければ、創造的なものはできないって。
まあ、オレも偉そうなことは言えず、世の中に逆らって行きてきたつもりだが、積極的な学習態度は身につけてこなかった。
でも今からでも遅くはないから、頑張るよ。
会社とは悪魔の巣窟
最後に、「この部署に行けないんだったら、会社やめてやる」と息巻いているキミにいいたい。
まあ色々言ったけれど、キミがその部門をやりたい熱意は素晴らしいよ。
でも、会社に入るってことは、会社のドレイになるってことに同意したことになっちゃうんだって。
会社のドレイっていうのは、「会社好みの組織人になる」ってことなんだよ。
それは一言で言えば、「他の部署の人間や、位の上の人そして下の人とうまく付き合うひと」ってことなんだ。
だから、会社はキミをいろんな部門にたらい回しして、いろんな人間とつきあわせるんだって。
そして、会社に限らず、世の中っていうのは、キミの足を引っ張る人ばっかりなんだよ。
だから、キミとしてはお世辞を言ったり、ヘコヘコしたり、妥協したりすることも、働く技術としておぼえなきゃならない。
例えば、キミが今までにないいい噛みごごちのハイチュウみたいなお菓子を開発したとしよう。
でも、それが最高の製品であればあるほど、上司がジェラシーで潰したり、出世のライバルがキミの人に知られたくない秘密を暴いたり、Z世代が嫌いな取締役が新ハイチュウそのものを潰すかもしれない。
結局、会社っていうのは正論が通じないところなんだよ。
「キミが製品づくりの天才」という正しいことを通すためには、そうした意地悪をなんとかくぐり抜けるスキルが必要だ。
だから、配置換えを命じられたら「じゃあやめます!」とは言ってはいけないのだ。
なぜならば、他の会社に行ってもおんなじことになるから、だ。
そう、一言でいえば、「会社とは魑魅魍魎が跋扈する伏魔殿」ってことだよ。
お化け屋敷、だ。
鬼や悪魔や化け物が棲むところなんだって。
アメリカの会社も、実はあんまり変わらない。
会社だけじゃなく、人生そのものが伏魔殿なんだよね、まあそこまでいい切れるほど、まだ爺さんじゃないつもりだけど。
まだ、この馬鹿げた「会社論」は終わらないよ。
野呂 一郎
清和大学教授
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