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国際的な知性Wokeがどうしても必要な時代

トヨタがなぜオリンピックCMを自粛したのか

積極性、これがこの連載を通じて、高校生の皆さんに訴えたいことだ。積極性とは、つまるところ情熱なのだという話から、夢を持つことの是非、その前に視野を広げろと言って話はプロレス、怪奇経営学そして昨日は留学に及んだ。

まあ、小さな自分の人生になぞらえて、いろいろ話をしているのだが、とにかくキミの可能性が大きく育つこと、これを願っている。

今日のテーマは、変化にどう対応するか、ということだ。夢を持つ、自分のやりたいことをやることは大事だが、同時に時代や環境の変化を頭に入れないとダメだと思う。

今日の大人向きの連載で、トヨタがオリンピックCMを自粛したことを取り上げた。何が言いたいかというと、トヨタはこの数週間で起きた世の中の変化を考え、莫大な費用と何年もかけて積み重ねた企画を捨てた、それはトヨタが「変化」をよく理解しているからで、だからトヨタは勝ち続けているのだ、ということだ。

アンチ五輪という変化

その変化とは、国民の五輪開催反対の世論が沸き立ったことだ。いまでも半数近くの国民が、国民の命よりオリンピックを優先するか、と憤りを顕にしている。

これまでオリンピックは企業イメージを上げる絶好の機会と考えられてきた。それはスポーツの持つポジティブなイメージとナショナリズムの高揚という、2つの感情を揺さぶるパワーのなせるわざだった。

しかし、コロナで日本の、世界の人々の心理は変わった。

生活は困窮し人間関係は絶たれ、自由は制限され、心身はストレスと運動不足に苛まれている。オリンピックを楽しむどころではない。今までオリンピックに夢中になれていたのは、平和な日々だったからということに気がついたのだ。スポーツは、生活が安定してはじめて楽しめるものだと知った。

どこかでお話したかもしれないが、僕の空手の先生がインドに指導に行って帰ってきた。さぞかし現地で歓迎されたに違いないと思って、「インドどうでした」と聞いたんです。そしたら、「いやー、インドは生活が大変で空手どころじゃないんだよ」という返事だったんだ。

今や、日本中ほとんどの人がそういう気持ちではないか。

勝ち負けという二元論の絶望的な古さ

スポーツは人を感動させるという、従来から言われてきた価値観にも変化の兆しが見える。それはWoke(ウォーク)と呼ばれる価値観の台頭と無関係ではない。これについては、別の記事で書いたのでよかったら読んでほしいけれど、

要するに人種や性別、性の好みなど、多様な考えを認める新しい価値観が世界を覆っているんだ。

スポーツは、勝ち負けの二元論でしかない。そしてオリンピックも、スポーツに強い国と弱い国を決めるという、一種差別的な二元論だ。世界は多様性をどんどん認める方向に動いているというのに。

そこへ持ってきて、コロナ禍を無視するような、政府の横暴にますますスポーツや五輪に対して反感を持つ人が多くなってしまった。ここ数週間の変化はここ数十年の世界の変化が爆発したものと言えなくもない。

国際的な知性Wokeが必要な時代

以上は僕が感じた変化であり、数量化されたデータでものを言っているわけではない。しかし、変化は必ずしも数字で表されるものではない。様々な現象やその背景にある世界情勢などを考える力や好奇心がないと、変化をつかめない。

変化を自分なりに把握し、それが何かをつかんでいないと、何をやっても成功はできないだろう。夢だったら尊いものだから、どんな時代でもそれをやり遂げる、やり遂げられると考えるのはどうなのかな。

スポーツだって、芸能だって、昔は癖の強い人だって受け入れられた。しかしいまはどうだ。昔いじめをしていた、昔、障害者にひどいことを言った、アウシュビッツの暴虐をネタにした、そのことでキャリアは終わりだ。

夢を持つことは大事だが、変化を理解し、それを敏感に感じる国際的知性Wokeがなければどんな成功も得られない。

今日も最後まで読んでくれてありがとう。
また明日会えることを楽しみにしている。

                             野呂 一郎

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