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プロレス&マーケティング第92戦 「凱旋帰国」は死語になったのか。

この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:馬場も猪木も「凱旋帰国」というマーケティングでスーパースターになった。今もこの手法は使われるが、以前ほど機能してないように見えるのはなぜか。トップ画はhttps://x.gd/3nZTm

凱旋帰国はブランディング

ブランドというのは、牛に押す焼印のことです。

牛さんの皮膚にジュウジュウに焼いた鉄の刻印を押し付けて印をつけ、一生とれなくなったその焼印で他の牛と区別するわけです。

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現代のマーケティングにおける焼印ブランディングは、そのオリジナルな意味と少し違っているのは、刻印を押すのは牛の身体ではなく、消費者のマインドだ、ということです。

つまり、ブランディングとは他の製品と全く違ったイメージを、消費者のマインドの中に植え付ける、ということです。

プロレスにおける「凱旋帰国」は、その選手の今までなかった新しいイメージを、ファンのマインドの中に植え付けるツールなのです。

海外修行で一皮むける理由

凱旋帰国は、多かれ少なかれ、レスラーにハクをつけます。

特にプロレスの本場、アメリカでの修行はレスラーとしての幅をいやでも広げます。

様々なタイプのレスラーと戦い、土地土地で全く違う観客の反応に戸惑い、悪徳プロモーターに騙され、数ドルの交通費を節約するために、気が合わないレスラーの車に頭を下げて同乗させてもらったり、オンボロレンタカーで10分に一回エンストしながら10時間のドライブで次の試合場に向かったり・・・

プロレスファンのあなたなら、こんな苦労話を聞いたことがありますよね。

日本にいれば、同じレスラーとばかり対戦させられたり、先輩レスラーのタイツを洗ったり、スターレスラーの付け人業務をやらされたり、基礎訓練と前座試合でみっちり鍛えられはしますが、プロのレスラーとしてレスリングに向き合う機会はなかなかありません。

海外マットは、プロレスもビジネスも違います。

アメリカで2年NWAのテリトリーを回ってきた、ヨーロッパの国々を転戦し様々なレスリングの洗礼を受けてきた、殺伐としたプエルトリコのマットで客にナイフで刺されながらも生き延びてきた・・・

身体でプロレスの異なる市場を体験することは、いやでもそのレスラーのポテンシャルを引き出さずにはおかないのです。

凱旋帰国は死んだのか

確かに小島聡も、天山広吉も、オカダもYOSHI-HASHIも凱旋帰国しました。

しかし、ファンに印象深いファイトを見せたのは、せいぜい数ヶ月でした。

タイガーマスクや藤波辰爾のように、海外で明らかに変身してファンに「見違えた」と言わせるケースは姿を消しました。

最近の”凱旋帰国”では、ノアの大器・稲村愛輝(いなむら・よしき)の例が印象的です。

N-1全敗 https://x.gd/W4LXK

9ヶ月の英国海外武者修行の後、リングネームもYOICHIと変更し、清宮海斗に挑戦したはいいが、いいところなく敗北を喫しました。

その後もリーグ戦で敗戦が続き、一部のファンから「海外遠征は何だったんだ!」との声が上がったのです。(僕だけ?)

こう言うと、読者の皆様は

「お前は日本マットの進化のスピードを知らない。

いまやノアで育ったザック・セイバーJr.が新日本プロレスの最強決定リーグ戦G1を制するくらい、世界最高峰なんだぜ。

もはや”海外修行”は意味をなくした死語になったんだよ」、と僕を諭すはずです。

小川良成信者を中心とした見解

たしかに。

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ただ、もう少し理由があるはずです。それは世界マットの停滞です。

WWEは強さを鍛えるところではない

なぜ、海外武者修行がレスラーのブランディングに役立たなくなってしまったのか。

僕は以下の理由もあると考えます。

1.アメリカマットにテリトリーがなくなった

いまやアメリカンプロレスはWWEの一極支配です。NWAとAWAが対立し、それぞれのテリトリーに、プロモーターがいて、個性的な市場が林立して、レスリングも多様で、個性的なレスラーがひしめいていた時代は終わりました。

日本人レスラーがかつて”武者修行”をしていたステージは、もはや消滅してしまったのです。

2.WWEの敷居の高さ

一極支配の主WWEは、レスリングもうまくマイクパフォーマンスにも優れ、ビンス・マクマホンにも気に入られないと、決してリングに上がれない仕組みです。

かつてのスーパースター、ザ・ロックをみるがいいです。

彼はいま、ドウェイン・ジョンソンとして、ハリウッドを牽引するスターの一人ですが、プロレスラーの”ザ・ロック”の時代から、マットでの役者ぶりは傑出していました。

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あのくらいの演技力とレスリング技術がなくては、WWEのリングに上がれないのです。

日本人は中邑真輔だって、やっとこさ英語と演技を仕込んで、ヒール役でお茶を濁すくらいが関の山でしょ。

ジュリアがWWEに行ったけれど、最初は物珍しくてチヤホヤされるけれど、英語で演技は厳しいし、日本のプロレスにこだわるだろうから、僕はSareeeと同じ運命をたどるのじゃないかと、思ってるんですけどね。

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そうなんですよ、WWEの思想はストロングスタイルじゃないから。

WWEで、強いレスラーになって帰ってくるっていうのは、もう違うんだと思うんですよ。

3.便利がレスラーの魅力を殺した

昔のレスラーが、アメリカ遠征を経て魅力的になった帰ってきた、それは神話になりつつあります。

様々なタイプのレスラーと対戦し、観客を沸かせる術も、場数を踏むことによって身についていきます。

例えばザ・グレート・カブキ

高千穂明久として、アメリカに遠征し、最初は日本人ヒールの典型的なショートパンツに下駄履きでファイトとしていました。

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しかし、ある時から忍者スタイルで毒霧を吹くようになり、両手にヌンチャクをもってオリエンタルヒールを演じるようになったのです。

アメリカという文化が、高千穂明久をザ・グレート・カブキに変身させたのです。

しかし、カブキを生み出した”根性”は、地を這いつくばるような、先に上げたアメリカ遠征の苦労で自然に身についたものだ、そう思います。

「何かファンにアピールしないと、アメリカマットでは干されてしまう」、こうしたハングリーさが、レスラーとしての土性骨を創ったのです。

さて、おしゃべりが過ぎたようです。

一応の結論としては、海外武者修行とか凱旋帰国は死語になったということ、レスラーとフロントはそれらに変わる新たなブランディング・ツールを生み出さないとならない、とりあえずそう言っておきましょう。

野呂 一郎
清和大学教授







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