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母性じゃなくて「父性ビジネス」もいけるかも。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:ママビジネスがいけるなら、パパビジネスもいけるかも。でも母性は普遍的だが、父性はいらなくね?ということで、現代における「父性とは何か」を考えてみました。
父性もいけるかも
きのう久しぶりに学食に行ったら、学生に声をかけられました。
嫌なんですよ、彼ら彼女ら、いつも聞いてくるんです。
「先生、俺の名前は?」
「えーっと、こじまくん?」
「こじまじゃねえよ、おおしまだよっ!」
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っていつも怒られちゃうんですよ。
学生の名前を思い出せないときの、バツの悪さと言ったら・・。
しかし、学生の名前を忘れるのは、商売で言ったら
お客さんの名前を忘れることですから、あってはならないことです。
最近は「学生名前メモ」みたいなファイルを作って、今日はどこで誰とあったかを書き込むようにしています。
さて、彼ら彼女らにとっての、自己証明たる名前を忘れたら、やはりペナルティが待ってます。
「先生、俺の名前間違えたの、4度目だよ、どうしてくれる?」
そう、すごんできます。
同時に、学生はもうその答えを用意しているんです。
「メシおごれ、酒飲ませろ」ってことなんです。(笑)
学生は巧みで、僕から「じゃあ、おごるから」を言わせるように仕向けます。
「わかったよ、じゃあ、ステーキ宮でも行くか?」
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すると、「おい聞いたか?」を合図に、どこからともなく仲間が集まり、
「俺も、私も連れてけ」が始まります。
覚えたてのスマホに、無理やり(笑)QRコードをかざし、友だち登録とやらが、一気に8人増えてしまいました。
学生は父性を求めてる?
僕は学生に特に人気のある教師ではありませんが、時にこのように学生から求められることがあります。
最近は、これまでよりも、かまわれることがも多いのが、気になっているんです。
これははトシを取って、ジジィ臭さが、言い換えれば父性が出てきたからじゃないか、そんな仮説を立ててみました。
おととい、母性ビジネスの話をしましたが、父性もいけるんじゃないか、そんな気がするのです。
母性vs父性
なぜならば、母性っていうのは普遍的ですよね、これは誰も異論がないでしょう。
女性が腹を痛めて産んだ子供は、ご自分の一部なのではないでしょうか。
自分の一部だから慈しみ、また、赤ちゃんもそうされないと生きていけません。
いや、それは自分の一部だからじゃなくて、普遍的な愛そのものなのです。
男が、いや人間が母性を必要とするのは、無条件の愛、ゆえなのです。
って、男の僕が母性を語っても意味なしか。
では父性はどうでしょうか。
父性の不足で、何か事件が起きたことなど聞いたことはありません。
しかし、実際は母性だけでなく、人間は父性も求めて止まないものなのです。
父性とは安心と信頼、だと考えます。
櫻井 諒@あえて今の仕事を選んでいる人を増やす、さまのこんなnote記事を見つけました。
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父性とはやせ我慢のこと
もう少し詳しく言うと、こんな感じでしょうか。
おカネ的そしてこころ的に豊かで、人間的に頼れる、ことからくる頼もしさ、安心、これが父性の正体ではないか、そう考えます。
もちろん、お金がなくても心が豊かな父親はたくさんいますし、頼りなくても愛されるお父さんも、珍しくありません。
でも、父性の象徴は強さ、から来る安定感ではないかと考えます。
こう言うと、男らしさの幻想だとか、男性中心主義の亡霊だとか言われてしまいますねぇ。
また「女性は守る性で、男性は攻める性という保守的なジェンダー論をふりかざすな」、とおしかりを受けること必至です。
しかし、男性中心社会で今まで女性は活躍できず、しかたなく男性が、家庭の経済基盤をになうようになったのです。
父性とはやせ我慢、なのです。
弱さを必至に隠して強く見せようとする、悲しいみえっぱりの男の性なのです。
そこに見え隠れする「弱さ、哀しさ」これが愛おしく思われるだけ、つまり一種の同情こそが、父性の正体なのかもしれません。
すみません、あやふやで。
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父性はもう無用の遺物なのか
でも一応、じじいになると何となく、母性とは違う何かが、立ち込めてくるのかもしれません。
それはオーラなどというかっこいいものではないけれど、ある種、若者たちが、かまいたくなる気配、です。
それが父性だとしたら、あまりに頼りないですが、ひょっとしてそれが現代に最も足りないものではないでしょうか。
男らしさや、強さは、もう嘘だって女性たちに見破られちゃってます。
むしろ男の正体はひどく弱いくせに見えっぱり、子供のようにワガママ、というしょうもないもの、とバレてしまいました。
だからもう誰も、父性などと言わないのです。
でも、母がいて、父がいて子供ができるんだから、両方必要じゃね、シンプルにこう考え、よって父性復活を叫んでいるわけです。
「なんかいいことある、だろうよ」、と。
今日は、父性を強さとか安定とか言って、それ系のビジネスを読者の皆様に提案するつもりだったのですが、頓挫してしまったようです。
でも、しつこく考えてみます、現代は父性を求めてるはずだって、説得力あるリクツをこしらえ、ビジネスも展開してみせます。
でも、そんな虚勢を張るから、父性がかえりみられなくなったのかなあ。
野呂 一郎
清和大学教授