松本清張の正体は「最強最高のマーケター」。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:松本清張こそ、理想のマーケターだった。文学界という市場を正しく理解し、その欠点をズバリ指摘し、処方箋を書き、そして自らが改革に立ち上がって、前人未到の結果まで出し、社会派推理という新境地を拓くに至った。いまこそビジネスは清張に学べ。トップ画はhttps://x.gd/kNJ8l
最高のマーケターの条件
それは、
だと思うんですよ。
マーケティング理論だとか、最新理論だとかは関係ありません。
なぜならば、マーケターとは、今まで市場にないものを出す人のことを言うのであって、むしろマーケティングの理屈などは、そのために邪魔になるからです。
僕は松本清張こそ、最高最強のマーケターだと疑わないのですが、上記の理由6つを説明しながら、その証明を試みたいと思います。
1.市場を正しく俯瞰できること
市場は小説も含めた文学界です。
松本清張の文学業界の俯瞰は、「権威主義で面白くない」ということでした。
清張の言い分はストレートです。
とズバリ指摘します。
その他の小説に関しては、
と、にべもありません。
僕はあまりに痛快な物言いに、思わず笑ってしまいました。
文学界といえば、イコール権威です。そのある種の巨大な権力に対し、人々は盲目的にひれ伏し、批判などはもってのほかという態度でした。
しかし、松本清張は「王様は裸だよ」と指摘したのでした。
鋭い指摘は、そのまま日本文学界の俯瞰でもあったのです。
2.頭が柔軟なこと
清張は、発想の自由さ、広がりを大事にしていた作家でした。
それは、メモのとりかた一つにもうかがえます。
「僕は、詳細にメモを取るということはしない。小説を書こうとするときそれに拘束されて自由に発想が伸びないからだ。」
清張は、文学界の権威主義、形式主義を嫌い、柔軟な頭で新機軸を追求していたのです。
それは形式ではなく「面白いこと」だったのです。
3.権威に屈しないこと
普通の文人ならば、文豪と呼ばれる大家の書いたものとあれば「ははぁー、ありがたや」と無条件にへりくだるものです。
三島由紀夫の創作ノート等と言うと、文人は皆ひれ伏すものですが、清張は彼のメモのとりかたが気に入らなかったらしく、こんなことを言っています。
4.自分を信じていること
清張は、推理小説に限らず、日本の文学そのものに対して不満を持ち、こうあるべしという一家言を持っていました。
推理作家の佐野洋の「文壇に対して不満がありますよね」という巧みな誘い水に対して、こんなことを言っているんです。
僕はこの行を読んで仰天したんです。
なんという自信。
日本の小説界全体に対してのこの批判と、自身の流儀に対しての確固とした信念。
僕は彼の自信に対して、爽やかな感動すら覚えたのです。
5.面白いものが創れること
僕は常々、マーケティング(経営学)とは面白いものを創ることである、と主張しています。
松本清張と私を同列に論じるほど愚かではありませんが、松本清張の求めたすべては「これまでにない面白い作品」だったのです。
ジャンルなどには、こだわりませんでした。
純文学だとか、プロレタリア文学だとか、青春小説だとか、ミステリーなどの既存の枠組みに入ることも拒否していました。
それらは彼に言わせれば、面白くなく、表現も大げさ、舞台装置もリアリティがなく、形容詞も大仰で、カッコつけているだけであり、そんな陳腐な権威といっしょにされたくなかったのです。
僕らが「面白い」と思っているのは、実は本心からではなく、権威にひざまづいているだけに過ぎないのです。
そんな人間は、僕を含めて「スノッブ(snob俗物性)」と呼ばれても仕方ないですよね。
結局、これまでも、これからも、よきマーケティングはよきマーケターによってしかできません。
面白いものを創れ、ということです。
「いまこそ松本清張に帰れ!」
マーケターは、いまこそ、松本清張の珠玉の作品をすべて読破すべきではないでしょうか。
野呂 一郎
清和大学教授