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死んだら意味がなくなる

最近、死について少しだけ冷静になって考えられるようになった。
人間本来の恐怖に加え父親の死を経験した僕は、ますます死について恐怖を感じるようになった。

しかし、「強くなるには弱さを経験しないといけない」ということなのか
最近は冷静かつ俯瞰的に死について考えられるようになった。

夜の寝る前、僕は毎晩、常夜灯にしてストレッチポールで体をほぐすことが日課である。
フローリングの床に寝転び、少しながら光る常夜灯を眺めながら体をほぐす。

朝だけどこんな景色で身体ほぐし

「人間みないつか死ぬ」そんな言葉が頭に浮かぶ。
そうすると思い出す人物がいる。
僕の親友のKだ
彼は「何もすることとか、やりたいこととか何にもないから長生きなんてしたくない。むしろ早死にしたい」と、言う。
僕はその度、答えに困る。肯定と否定、両方のニュアンスを含ませないように「ヘぇ〜」とただいうだけに終わる。
彼と遊ぶときに毎回と言っていいほどある会話だ。


対照的に僕はやりたいことだってあるし、長生きしたいと思っている。
しかし、死は平等に訪れる。
僕の好きな言葉に「この世に生まれたから死ぬ」というものがある。
これは「長生きして亡くなる人もいれば、若くして亡くなる人もいる。長い間病気と闘って苦しみながら亡くなる人もいるし、事故などで一瞬にして亡くなる人もいる。それら全てに共通する死の原因はこの世に生まれてきたからである」という意味だ。

そう思った時に、僕のやっていること全てが無意味なことだと感じる。
僕が読んだ本の知識や僕が音楽を聴いて感じたこと、泣いたり楽しんだり怒ったりした記憶は死んでしまえば、誰にも触れられることなく無くなってしまう。すなわち、もともと存在していないのと同義である。

そんなことを思うと前は自分のやっていることや挑戦したいと思う気持ちが消えかかり、無気力、怠惰、になっていた。

しかし、今は「絶対に何か残してやる」と生きるための活力になったりするようになってきた。
しかし、その気持ちは決して「死を受け入れられたから」ではなく、
きっと、いろいろな経験を通して「生きていくことを受け入れられた」からだと僕は思う。


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