見出し画像

メンタル不調の頃の話をつづることの是非

noteでもXでもfacebookでも、
メンタル不調の話を記述している人は多いです。

ある時期まで・・・・いわゆるどん底期は自分もそうしたかったのですけど、
あえてネットにあげることは控えていました。

でも手書きの日記をつけるようになりました。
最初は「当用日記」という縦書きの立派な装丁のやつです。

でも縦書きになじめなくて、1年で横書きのものを探す。
2年は横書きのものを使っていました。

メンタル不調の頃は非常にネガティブで、
将来に対する不安と、死にたい、消えたいの話ばかり。

傷病手当金を貰うようになって、少し落ち着く。
コロナが流行りまくっていたので、これ幸いと引きこもる。

徐々に回復するにつれて内容も過剰に内省的な、
自虐的なものから日常の出来事を記述するような内容に変化していきました。

ネガティブな内容、否定的な内容をネットにアップすると、
とめどなく拡散していくような気がします。
このnoteもそうなんですけど、
どこか推敲が浅いまま記述するような傾向が自覚できています。

確かに・・・ネットで何かを発信すると反応があるので
共感を求める気持ち、心理的な支えになることはわかりますよ。

でもですね、ネットには「解決方法」はありそうで
存在していないのではないかと。

これまでの人生の変遷というか、自分の過去を振り返るという
プロセスがその解決方法を見出すのに、必ず必要です。

しかし、ネガティブな内容を記述することで、
その内容の振り返り方が泥沼化していくのではないか?

その意味で明治時代に出てきていた「森田療法」というのは
意識的にか、そうではないのかはわかりませんが、
泥沼化する考えを、身体を動かしたり、何か作業することで
ほかに向けているということになります。

自分の場合は英語の勉強であり、
電子工作であり、木工(椅子を自作したり)でした。

一生懸命木を切っていたりする時って、
暗いこと考えてない(そんな余裕ない)んですよね。

いいなと思ったら応援しよう!