ASDについて(1)
アスペルガー症候群、ASDと略される「発達障害」
精神科医に診てもらって診断名をもらったわけではなく、
あくまで自己の経歴を振り返ってそうなのだろうなと思っているのです。
この年になって診断名をもらうことでなにか得られるものがあるわけでないですし。
わたくし、子供のころは落ち着きがないと評される。
自分の場合は計算障害もあった。
割り算、掛け算ができず、時間の計算も怪しい。
高校で算数0点で落第という偉業wwwを成し遂げる。
虐められる原因である、肥満とどんくささから
運動が下手。今でも体育と算数が大嫌いです。
摂食障害で過食を起こし、小学校5年生の時に通知表に
「肥満児」と書かれたことを覚えている。
ただし記憶力はよかったようで、親によると「怪獣図鑑」や
本の内容を全部覚えていて暗記・暗唱していたらしい。
小学校~中学校の同級生は「頭がよかった」と覚えてくれている。
お世辞でしょうかね・・・
中学校の後半から不適応の兆しが見えていたのだが、
高校に行ってからてきめん不適応を起こした。
このあたりの記憶は不鮮明で、何をしていたのか記憶がない。
とにかく毎日地獄のように思えて、
早く大学に行けば楽になると思い込んでいた。
このころには社会適応はとてもしんどいものである、
自分にできるかどうか怪しいと思い始めた。
1年浪人して大学に進んだ。
心理学科。
なにか社会適応の糧になるものはないか、と思っていた。
そこには、なかった。知識はあったが。
大学時代はまずまず平穏な日々が続く。
しかし、友人たちが謳歌している恋愛やなんかは
全く縁遠く、やっと平和な日々が訪れたと安堵、
ぼーっとして4年間が終わってしまう。
大学院へ行こうと思うが、出来損ない役立たずで、
全く相手にされることなく1年をさらに無駄に過ごす。
大学をでてから、臨床心理士(無免許)で働きだす。
でも知識はあっても常識が欠けているのでつまはじきにされる。
このころ、20代後半ではあるものの、
社会適応的にはお寒い限りだったのだ。
名古屋にいたのだが、一度実家の高知県に帰る。
そこで「理学療法士」なる資格があるのを知る。
一度受けてみようか。
合格する。
最初の2年くらいは先輩のパワハラや、自分の未熟さもあって
うまく行くのか不安だったが、気が付いたら25年もやっている、
というのが今までのたどってきた道のり。
この20~30年くらいは鬱症状が背後霊のように付きまとっています。
正直、今の時代に自分が子供だったら、
同じようにやってこれる自信はない。
社会に余裕がなくなってるし、「変な奴」を受け入れる部分も狭い。
ネットで発達障害への罵詈雑言をみていると
そう思わざるを得ません。
たぶん、今の時代、ASDやADHDの子供をお持ちの親御さんって
すごく不安じゃないかと思うんです。
病気で診断名をもらうということは「烙印」を押されるようなもので、
将来を悲観する親御さんもいるはず。
ADHDはコンサータっていう薬が出て、かなり社会適応が楽になったという
話がXやネットに散見されます。
何回かやりとりしたことのある
ADHDの借金玉さんも同じ感想を漏らされていたのを覚えています。
でもASDにはそんな薬はでていない。
「障害は個性だから」というぬるい言葉はなんの救いにもなりません。
職場に来たASDタイプの子たちは、リハビリの免許を持ちながら、
医療職でありながら(だからこそ?)パージされ去っていきました。
彼ら彼女らの姿を見ていると、自分もそうだったんじゃないかと思い、
いたたまれない気持ちになったことを覚えています。
もうすぐ還暦になる自分が先達として、
こうやって社会適応に苦労してきたんだよ、という残してみたいのです。
老人の繰り言、という言葉も浮かびますが。
借金玉さんの本は、かなり救いになりますし、
これからの世代に有効な処方箋のひとつになると思います。
次回から本格的な内容に移ります。