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28 ワールドザワールドの女神の本分

 ワールドザワールドの女神とアイは巨大樹を出発して、もう二日目に突入していた。
 遠く行ったところにある、センカ村へ向かっているのだ。
 今までにもアイはこうやって、ワールドザワールドの女神に連れられ、いろんな村や集落に赴いていたが今回はずいぶん久しぶりに感じる。クァシンと仲良くなって以来、彼といる時間がずっと多くなったからだ。

 ワルワルの女神の仕事。それについてかつてアイは彼女に聞いてみたことがある。
 そのとき、ワルワルの女神はこう説明したのだった。

「女神の仕事の中心はね、『みる』ことなの。タニシの女神は村の人とか虫とか、井戸の女神なら町の人々や生活、風の女神ですと風や草、そして豊作を見るの。私はそれら全てを、満遍なく見てるのよ」
「見てどうするの」
 とアイは聞いた。
「見ること自体が大切なのよ」
 とワルワルの女神は答えた。アイはまだぽかんとした顔をしていた。

 昼を過ぎて、二人はセンカ村へ到着した。村は、藁を束ねた屋根が、ニキビのように村のそこらにちょんちょんと見える。中央を通る唯一しっかりした道は、そのまま木の階段がつづき神社へ導いていた。
 ワールドザワールドの女神が来たということで、集まった村人たちは、二人を村屋敷へ連れてゆくと、鳥の焼いたのと、木の実と熱いお茶をだしてもてなした。

「この村の食事はいつもこんななの」
 とお茶をふくんだアイが聞くと、
「ええ。そうらしいわね。果実を摘むのと狩猟でとった肉」
「味気ないね」
「調味料を一切使ってないからかしらね」

 食事を終えた二人の部屋に、村長がやってきた。角ばった体の上に丸い大きな顔。後ろで指を組んで顎で歩くような男だった。

「女神様に、ぜひ、見て欲しいものがあるんです、ええ」

 そう言って村長が案内したのは、村の隅に作られた畑であった。

「この村に畑がもたらされたのです、ええ」
「誰かが伝えたのね。それはいいことだわ。けれど、畑といっても、簡単に育つものではありません。注意して、愛情込めて作物を見てやることよ」
「はい。ありがとうございます、ええ」

 村長は照れて液体のようになった頬を撫でながらワルワルの女神のことを眺めていた。
「さて、では……」
 と村長は、一通り畑を見て回ったワルワルの女神を誘導するように、神社へと案内した。
 ワルワルの女神も、あまり状況は把握していないが、連れられるまま押されるままに階段を上る。
 一方、アイは「そこで待っていろ」と村長に言われ、階段を踏むことすらできなかった。

 下でひとり待つアイ。頂上まで上り、神社にたどり着いたワルワルの女神が、扉をあけてなかへ入るのを見守った。そして扉はピシャリと閉ざされた。同時に、扉の向こうから「キャッ」という悲鳴が、階段を転がってアイの耳まで届いた。

「危機だ」と、咄嗟に飛び上がり、階段を登ろうとしたアイだったが、そのとき頭に強い衝撃を受けその場に倒れた。そこには棍棒を持った村男が三人。

「意外とあっさり倒れたな」
 村男たちの後ろに立つ、少年と少女が前に出てきて、伸びきったアイを見下ろしながら言った。

 一方ワールドザワールドの女神は、腕を縛られ、床に押し付けられていた。
「あなたたち。一体何が目的なの」
 すると、村長が叫んだ。

「美少年神ガン=シヨク=ガヨク様に捧げる」

 奥から、コツコツと足音だけが聞こえてくる。そして足音は、ワルワルの女神の前で止まった。女神は顔をあげた。立っていたのは、叫ばれた通りガン=シヨク=ガヨクだった。

「やあ、ワールドザワールドの女神様。久しぶりだな」
「シヨク=ガヨクね、あなたなぜここにいるの」
「お前らがここへくることは知っていたよ。だから先回りしたのさ。ワールドザワールドの女神、残念ながら、お前の大切なアイには、今日ここで死んでもらう」
「何をするつもり! ……ってか、び、美少年神?」

 その質問は無視された。そしてシヨク=ガヨクは村人を呼んで命令した。
「おい、この女を連れ出せ。宴の準備だ」
 キザに羽織った黒いマントをひるがえして。

 さて、その夜。村の広間に火が焚かれ、それは夜空へ突き刺すように燃え盛った。煙の柱がたつ。そばには絞首台が用意され、そこにアイが引き連れられた。大量の果実、さらに牛が一頭切り分けられ、酒の用意もされた。村人たちは踊った。こんなに栄養のいいものを食べられるのは、生涯で一度か二度であろうと大喜びなのである。村長はもう酒に酔っていた。
 シヨク=ガヨクの子分であるコザルとツキヨがアイを笑った。

「まさかこんなにうまくいくとはな」「あんた死ぬわよ」
「ワールドザワールドの女神はどうなっちゃうの」
 アイの質問にコザルもツキヨもまた笑った。

 階段の上に腰掛けたシヨク=ガヨクがアイに声を投げる。
「最後に、言い残すことはないか」
 アイは少し考えて、「ない」と答えた。

 シヨク=ガヨクの隣で、ワルワルの女神は縛られ座っている。村人が彼女の口に肉を入れる。
「ほどきなさい。自分で食べれるから。シヨク、あなた何が目的なの」
「簡単なことだ」と彼は立ち上がり、彼女の前に立ち、ぐっと顔を近づけた。

「ずっと前から言っている。俺はあいつが死ぬところを見たい。ただそれだけだ。そしてこれは贅沢なことだが、それをお前に見せつけたいんだ」

「性悪ね」
「何を言っている女神様。何が悪で、何か正義かは、環境や立場によって変わるさ」
「でもね、何が人を傷つけるかは、どの時代も同じよ」
「だからこうしてるのさ」
 シヨク=ガヨクは屈んだ姿勢を直して、踊る村人たちのほうへ体を回した。アイの首吊りを命じるためである。



 この村に、シムツルという男が住んでいた。彼は成人になったばかりの年齢で、つい最近まではこの村を離れ、川向こうの集落で暮らし、畑作業を学んでいた。
 村にその技術を持ち帰ることを望まれていたのだ。
 しかし、いざ村へ帰ると、もうすでに畑は耕され、活気に満ちた村人は、美少年神という聞いたこともない神を崇めていた。
 誰も彼を必要としなかった。
 村で待っていた婚約相手のハララも神社に篭りっきりで出てこなかった。彼は村に捨てられたような気分になった。
 彼はそのうち、誰ともつるまなくなり、ただ柱の影や樹の裏に隠れ、地面に一人で天気を記して過ごしていた。星を見て、雲を見て、風を感じて、天気を記した。そんなふうに二ヶ月も三ヶ月も経った。
 そんなある日、彼を見つけて、声をかけたものがあった。

「あなたは、シムツルね」
 光に輝くその影は、見知らぬきれいな女性であった。ワールドザワールドの女神である。隣にアイも立っていた。

「なんでも僕の名前知ってるの」
「私はなんでも知ってるのよ。あなたがこの村のために学んだことも、いま何をすればいいか迷っていることも」
 彼女は微笑んだ。
「なんてったってワールドザワールドの女神だからね」
 隣のアイも誇らしげである。

 シムツルは彼女が幼い頃、言い伝えとしてほんのり聞いたことのあるワールドザワールドの女神であると聞いて驚いた。

「なぜ僕のところに?」
「ええ。元気にしてるかなあと思って。数日はこの村にいるつもりだから、何かあったら私かアイに声をかけてね。それじゃあ、私たちは、他にも」
「あの」と、彼は去りかけたワルワルの女神を呼び止めた。しかし、「いいえ、どうぞ。お仕事に戻ってください」
 と返した。
 彼はこう聞きたかったのだ。「なぜこの村はこんなに遅れているのか」
 しかし、すぐに彼はそのことを聞きたくなくなった。答えを聞いてしまうと、惨めに思ってしまうことが予想できたからだ。このことは自分で結論づけよう。彼はそう思ったのだ。

 夕方になって、彼のところに久しぶりに村長が訪れた。用件は、「今夜宴を催す。見たかったら見にこい」というものであった。どうやら村人全員に告知して回っているらしい。
 シムツルは無性に腹が立った。今の何の役にもたっていない自分を、バカにされたように思ったのである。尊重はシムツルという男がどんな人間か、どんな気持ちで生きているのか、まったく歯牙にも掛けないでただ村にいる一人の存在物として声をかけたのだ。そう感じてシムツルは無性に腹が立った。

 そこで彼は「それですと」とさも親切に教えるかのような演技をして、村長に言った。

「火を焚くと盛り上がりますよ。僕が前に行った村でも、祭りに火を焚いていました」

「おお、なろほど。それは賑やかでいい」

 村長は空に向かって頷くと、そのまま嬉しそうに帰った。
 シムツルは知っていたのだ。
 今日のこの湿気の中、火を焚くと、煙が空に上り、それが雨となって宴が台無しになることを。彼は今夜、てんやわんやになった宴だけを見届けて、この村を去ってしまおうと思っていた。

 しかし、夜になって彼は驚いた。あの優しかったワールドザワールドの女神は縛られ、アイくんに至っては今まさに殺されようとしているのだ。あの美少年神と呼ばれている少年は一体何者なのだ。

 ドンドコドン。ドンドコドン。
 祭りの音が響く。
 熱の風が漂って村人の顔を撫でて回る。
 赤い炎に照らされたアイが、いよいよ木組みの台に登る。ドンドコドン。ドンドコドン。

 ドンドコドン。ドンドコドン。
 そのとき、ひた、とシムツルの顔につめたい点が一滴。「——雨だ」と咄嗟ながら理解した。

「——雨が降る」

 すると、まもなく、その雨は地面にポツポツと染み出し、ついには音をたてて振り始めた。村人が騒ぎ出すのとは反対に、炎は弱まる。雨の霧の向こうに美少年神シヨクが苦い顔つきでいるのがぼんやりと見えた。

 混乱の中、シムツルはアイを縛る縄をほどき、彼を自由にした。
「ありがとう」とアイはすぐに駆け出し、シヨク=ガヨクの元へ向かう。しかし、彼が神社にたどり着く頃には、彼はもう消えており、そこには酔い潰れて、雨にびしょ濡れになった村長と、縛られて芋虫みたいにクネクネするワールドザワールドの女神だけがいた。

「シヨク=ガヨクは?」
 とアイが聞くと、ワルワルの女神は、
「逃げたわ。きっと、アイが自由になったときの展開の読めなさが恐ろしかったのね」と答えた。

「お二人は、神社でお休みください。お冷にならないよう、囲炉裏に小さく火を焚いておきました」
 とシムツルが二人を中へと案内したのであった。


 次の朝、アイはワルワルの女神に起こされ、目を覚ました。
 何だか外が騒がしかった。出てみると、村人が中央の広場に集まってみた。ワルワルの女神に手を引かれ行ってみると、神社正面にある一般家屋の屋根の上にシムツルが立ち、胸を張っているのが見えた。彼はそこから村人に大きな声で命令していた。

「いいか」とシムツルは叫ぶ。「この村には改革が必要だ。お前たちは一体、いつまで猿のような生活をしているのだ。俺はそんな生活には手を貸さない」

 どうやら彼が新しいリーダーになったようである。その理由はすぐに分かった。彼の足元で、昨日までの村長が縛られているのだ。

 シムツルは屋根から飛び降り、旧村長を蹴りあげた。

「いままで、進歩がなかったのはこいつのせいだ。いいか、バカについていくのなら好きにしろ。だが、言っておく、俺についてきたものだけが、より良い生活を手にすることができるのだ」

 村人たちが段々と色めき立つのが感じられた。
 彼らの手には、せんべいやみたらし団子や輸入品のコーヒーがそれぞれ握られている。シムツルがこつこつ用意したものだったのだろう。

「結局お前らは、何をしにきたんだ」
 呆然と立ち尽くすアイとワルワルの女神の後ろから、いつの間にやら近寄ってシヨク=ガヨクが冷やかしの声をかけた。

「確かにね」とワルワルの女神は答える。「でもこれでいいのよ。全然、そのままでいるべきだなんて、誰も強制しないわ」

 シヨク=ガヨクは呆れた風に鼻を鳴らして去った。
 アイはワルワルの女神を見上げる。どこか寂しそうだった。彼女は、世界に、変わらないことを望むのだろうか。それとも、それ以外の理由で、寂しい思いをしているのだろうか。

 シムツルは、昨日までとは全くの別人の顔になっていた。

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