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壁の裂け目 短編小説

ある年のゴールデンウィーク。
高校を卒業し、大学を待つ身である時岡は部屋で寝転んで漫画を読んでいた。
なんてことない休日。
何をする予定もない日だった。

突然の出来事。
部屋が揺れ、地響きのよう音が体に響いた。
地震かと思った。時岡は漫画を置き、安全な場所を目で探した。と同時に、部屋はまた無音に戻った。

窓の外を見るとさっきの揺れは何もなかったみたいに、人も鳥も何食わぬ顔でいる。
「あっ、えっ、何だったんだ」
今の揺れは勘違いか。スマホを見ても、自信があったと言う情報はなかった。ただ遠い東北地方で震度一の揺れが一時間前にあっただけ。

しかし窓を閉め、振り返って驚いた。
異常はすでに現れていた。
部屋の壁が割れていたのだ。しかも、ただ割れているわけではない。
その割れ目の中は、黒とも紫とも白とも言えぬ不思議な色で、どこまでも奥深くその先が続いているように見えた。まるで宇宙のような色。深淵。時岡はそんな単語を思い浮かべた。

また地響き。否、地響きではないこの空間の裂け目がうめいているのだ。
地面が揺れているわけではなく、この部屋の空気が異様に揺れているのだ。
またおさまる。

時岡は怪訝な表情を浮かべ、壁の裂け目に近づいた。
その時だった。音も気配も何の前触れもなく、その裂け目から人が飛び出してきたのであった。
若い男、髪はなく、背は高くない。服は見たことのない素材でできており、僅かな角度の違いによって色合いが変わっている。腕には紙のように薄い時計を巻いていた。
未来人だ。きっと未来人だ。
未来人は勢いそのまま反対の壁に叩きつけられた。
体からうっすら発している煙が消えた頃、男は目が覚め飛び起きた。

何かに追われていたかのように息が上がっており、目をまん丸にして時岡を見つめた。
「君は……」
未来人が口を開いたと同時に、

「だ、だ、だ、大丈夫ですか」
と時岡は遮った。「た、大変だ。あなたはまさか、未来から来た。ああ、ああ、ああ……未来できっと大変なことが起きているんだ。僕は、僕は、僕はどうすればいい、いいんだ」

「落ち着いてくれ」
未来人が座り直して言う。「驚かせてすまない」

「ああ、ああ、きっと地球の危機だ。地球に危機が迫ってるから、過去に来て原因を停めに来たんだ。こうしちゃいられない。僕もいち早く何かしないと」

「それはそうだが落ち着いてくれ、一旦息をついて、僕の話を聞いてくれ」

「大変だ、大変だ、怖くなってきたぞ。もうだめだ、何もかも。いいや、諦めるな諦めるな、パニックになっちゃだめだ。何か考えないと。ああ、あああ」

「一旦、僕の目を見て、落ち着いて」
しかし未来人の声は時岡には届かなかった。
時岡は、「急ぐんだ、急ぐんだ」と息を荒くしたまま、壁の裂け目に飛び込んだ。

「あっ!! ………ああ……何をしてるんだ、彼は。……いったい何なんだ。勝手に未来に行くなんて」

呆然としたのは未来人の方である。

と、時岡は帰ってきた。
裂け目からぽんと飛び出してきた。
しかし、
「ああ、まだ食べ終わってないのに」
と未来人の方は振り向きもせずにまた裂け目に飛び込んだ。

「何なんだ、本当に。嵐のような人間だな。また未来に行ったぞ、あの人……しかも、これは余裕がなくて咄嗟に使った簡易版のタイムクラック……これでは時間にそうズレは生じないだろうが、出る場所は選べない……彼はそんなことも知らずに飛び込んだぞ。……怖いとかないのか。普通、できないだろ。……しかし、……どうしよう」

未来人は椅子を引いてそこに座った。
腕時計を見て思案する。

「彼はしょうがない、とりあえず、僕はまず狙い通り125年前に来れたから、あの人を探すとするか」

と立ち上がった時だった。
部屋が震え、地響きが鳴る。

そして揺れが止まると同時に、裂け目から人が飛び出た。

真っ黒いフードつきマントに身を包んだ髭の長い老人だった。

「お助けください。やはりあなた様の力が……あれ?」

と未来人の顔を見て首を傾げる。

「時岡様ではない」

「え、時岡ってあの時岡ですか」

「わたくしめが会いにきたのは星間軍隊大佐時岡様で、彼がいないと第三次西銀河戦争に終着がつかないのだ」

「それは、全く知らない話ですね。けれど実は僕もこの時代に時岡を探しにきて、彼がアオウグス太陽系からの侵略に対抗できる唯一の人と聞いたから」

「アオウグス侵略だって……そりゃ神話の話じゃないかね」

「神話……昔ってことですか。え、そんなに昔ですか。どんな未来から来たんですか、あなたは。だいたい時岡がそんな偉い人間だなんて聞いてませんが」

「いや待ちなされ、確かに……神話にもトキオカと言う名が、それが第一次戦争……」

「全く話が読めません」

その時だった。
また時岡はポンと出てきて、
「あっ!」
「ちょっ!」
と驚く老人と、慌てる未来人とを置いてまた、

「それは僕のものだって言ってるだろ」

と呟きながら裂け目に飛び込んだ。

「また行っちゃった」

「時岡様……」

「しかしなぜ彼はここへピンポイントで帰って来れるのだろう」

「わたくしめが使ったのは軍上層部支給の高級式のタイムクラックです」

「じゃあ、上書きされたのかな」

その時だった。
また部屋が震えはじめた。
地響きのような音も部屋を震わせる。

そして。
次は、裂け目から大きな白い塊が飛んできた。
立ち上がったそれは、ウェディングドレスを着た女性——絶世の美女だった。

「かけるくん! わたしのためにあなたが行ってしまうなんてわたし……」
と未来人の老人が目に入り、言葉を飲んだ。「誰ですか? あなたたち」

未来人が口を開く。
「かけるって、時岡かけるのことですかね」

「ええ。わたしとの約束を果たすために、彼……」と涙を流す。「政府が敵だと分かっていながら、単身で抗議に乗り込んだのです。何もできないわたしたちフロイデ星民のために……」

「あいつ一体、どこに行ってどう暴れてるんだ」
と未来人は頭を抱えた。
「どういう動き方をすればこんなに未来中を掻き乱せるんだ」

「しかし、仕方ないですよ若い者よ」
老人は腰をおろし、マントも畳んでおいている。
「我々はとりあえずここで待つほかない。仕事は、待って為さねばなりません」

「しかし現実的な問題もありますよ。万が一、時岡が帰ってきたとして、どの未来に連れて行きます。僕としては一番にここにやってきた僕の未来を優先して欲しいのですが」

「それはだめだわ」と女が言う。「わたしの未来は一刻を争っているの。かけるを助けられるのはかけるだけ。彼が過去から来たことを証明できれば、銀河憲法が彼をここへ強制送還するの、そうすれば彼は死なないで済む。あなたの未来にはそのあとにしていただくわ」

「それはいけん」と老人。「お嬢ちゃん。あなたは銀河暦17800年代から来とるじゃろ。クーデター……あの出来事は、わたくしめの記憶が正しければ、時岡様の犠牲無くして成り立たん」

「そんなことないわ。絶対あり得ない」
彼女は涙を飛ばさんばかりに首を振って抗議した。

その時また裂け目から。
今度は、小型犬だった。

「キング時岡! 私たちの王国にはやはりキングの……お……お……お姿が……」

「もうこれ以上話をややこしくするな!」と未来人。

「若い者よ、そこの犬に言いつけてもしょうがないぞ」

「だれが犬だ。吾輩は犬は犬でもただの犬じゃないんだぞ」

また裂け目から、今度はロボット。

「ハカセ、ワタシノ右腕ノ調子ガ……」

そして少年が、

「先生! いよいよ先生の論文について……あれ」

そして屈強な軍人が、

「時岡様! もはやいよいよ、戦局は厳しい状態で……。あ、佐久間中佐、ここにいらっしゃったか」

「久しぶりだな、パウエル」黒マントの老人が答えた。

「二時間前からいなくなり、どこに行かれたのかと探しました」

「済まない、先んじて手を打とうと思った結果じゃ」

そして政治家が。
そして子連れの一家が。
そしてライフルを持った殺し屋が。
メイドが。牛が。赤ちゃんが。目玉焼きが。より高性能なロボが。時岡が。

あっと皆が声を揃えて言う頃にはまた、
「このままじゃ、風呂が冷めるのに」
と言って裂け目に飛び込む。

くそっ、と皆それぞれに地団駄を踏む。

「改めてもう一度話し合おう」最初の未来人が言った。
「状況を整理して、時岡を連れていく順番を整えておこう。これ以上未来を荒れさせてはいけない」

その場の全員、各々の場所に座り、お互いの状況を報告し合った。そしてそのうちに打ち解け、次第に、子連れの一家が持ってきたピクニックグッズやら、時岡の部屋にあった酒やらが振る舞われ、和気藹々の盛況を呈しだした。

「流石ワタシヨリ二万年モ先ノロボデス。速度ガ違ウ、速度ガ」
「イエイエ、先代アッテコソデスヨ」

「いいかパウエル、軍務ってのはのう、人あってこそなのじゃ」
「なるほど。私の考えはやはりまだ浅かったです」
「そんなこともないぞ、そなたはよく考えておる」

「それでね、わたしを連れて海に行ったの。そしたらちょうど、流れ星が落ちてね」

「吾輩の骨を、彼は最も簡単に見つけ出して」

「隙はなかった。こちらの仕事は完璧だったのにもかかわらず」

そしていよいよ。

彼らが手に盃を掲げ、三度目の乾杯をした時であった。
今までにない大きな揺れが部屋を襲った。
そして、壁の裂け目から、時岡が飛び出した。

「捉えろー!!」

未来人が叫ぶ。

皆、時岡に飛びかかった。

太い腕で抑え、必死に服を掴み、爪で引っ掛けた。

とうとう時岡は捕まった。

「な、なんだ!」時岡は何も分かってない。
「僕の部屋だぞ」

「だからこんなことになってるんだ」

「どう言うことだ!」

「だれにも分からない! だから困ってる!」

「僕を放せ!」

「それはできない。早く連れて行かねば、僕の未来だってうかうかしてられない状況に——」

「急がないといけないんだ。今僕が行かないとアオウグスが地球を襲う」
時岡が叫んだ。

それを聞いた未来人の顔はさっと青くなった。
「え? なんで……」

「共和決議の際中だったんだ。で、僕のおごりでしゃぶしゃぶだという約束だったんだが、転んでこっちにきてしまって。きっと血眼になって僕を探してる。僕が消えたことを侮辱と取られてしまうととんでもないことに発展しかねない。たぶん警備員も全員。気の短い別銀河人のために一秒でも早く帰らなければならないんだ」

「僕だ。僕がその会場の警備員で、とにかく時岡を連れてくるようにって言われて——」

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