B42-2021-23 もしもし ニコルソン・ベイカー (訳)岸本佐知子
これは最近気がついたことなのですが、表現者はある意味において変態でなければいけないのではないかと思います。
それは「普通」に較べて変わっているとか、ちょっと特殊だとか異色だとか、そのようなゆるさではなくて、もっとこう、切実なる領域まで行っているという事です。
とことんまで突き詰めていっている姿勢です。
ニコルソン・ベイカーの最初の小説を読んだときに思ったことがそれでした。
この人は変態なのです。
そして僕はこの変態性にものすごく惹き込まれます。
ひとつの事象をこれでもかというくらいに突き詰める姿勢にのっぴきならないものがあります。
ニコルソン・ベイカー2作目の本作は一組の男女がテレホンセックスを延々とやるという小説です。
会ったことも、最初はもちろん名前すら知らない遠く離れた場所に住む男女がずーっと電話で性的会話を繰り広げます。
それはほとんど哲学です。
下世話な内容になってもいいくらいの話なのに、猥雑な話であるはずなのに、気がつけばそれらはほとんど哲学の領域に入っているのです。
また、そうかと思えば下世話に戻ったりと、その振り戻しというか揺さぶりに僕はニコルソン・ベイカーの芸を見ます。
作者のそういった息吹を丹念に翻訳している岸本佐知子の腕も、僕は信用しています。
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