余白の部分が、考えないと見えない。
■モノが詰まった世の中
絵本作家のなかえよしおさんが、
余白を大きくレイアウトした
自身の「ねずみくん」シリーズについて
語りながら、
こう説明していました
(先日の『あさイチ』)。
一方で、最近のデザインやビジュアルを念頭に
「考えさせないようなね、ぐらいに、
いっぱいモノが詰まってる」と
批判気味に語っていました。
■考えさせない情報の送り方
確かに、
最近のCMやネットなどの広告、
さらにテレビ番組には、
デザインやビジュアルの面はもちろん、
サウンドの面でも、
情報過多が目立ちます。
例えばCMは、
言葉で時間を埋めるスタイルが
非常に多い。
情報伝達役の
タレントとシチュエーション
(友人同士なのか店員と客なのか 等)
を設定し、
これにダンスと音楽を
入れ込めばできてしまうようなCMの洪水です。
さらに「余白があるなら、これも入れろ」
という声がリアルに迫るかのようです。
■「考える」ことに価値がない時代
歩きスマホで
殆どがゆっくりと
蛇行して歩いているのに
どうやら「忙しい」らしい
この世の中の
「余白」のない情報過多の伝え方は、
余白があるからこそできる
「考える」という行為を
どんどん衰退させている。
そんな気がします。
*
かつてSDGsが最初に発信された頃、
「SDGsって難しい」と
マスメディアは捉えました。
小学生でも分かる
SDGsのシンプルなメッセージを、
少しも考えることなく
「難しい」と片付けて
環境保護と障害者福祉のみに
焦点を当てる企業アピールの道具に
してしまったマスメディア。
「余白」をつくって、
例えば
SDGsの一つひとつを
じっくりと考えてみることなど、
コスパに合わない、
そんな時代です。
だから、これに限らず
物事の本質を理解する
道は遠のくばかり、
のような気がします。