「死」について書く、ということ。
■人の死って、そんなに縁起の悪いものだろうか。
ユーモアやペーソスを拒絶する深刻なもので
なくてはならないのだろうか。
山田詠美さんは、正月七日の
「日本経済新聞」で、
「死」について書いたら
「コロナによる死者が出ている時に、
そんなもの読みたくない」とか、
「人の死を茶化すとは何事か」
などの少なくないクレームが付いた、
と語ったうえで、
このように疑問を投げかけている。
■文学畑の媒体では考えられないことだ。
しかし、注目すべきは、詠美さんが、
これらのクレームは、
「文学畑の媒体では考えられないことだ」と
語っていることだ。
つまり、その文章で「死」はどのように語られ、
筆者はそのとき「死」とどんな関係にあったのか、
などについて想像し受け入れる習慣(才能ではない)があれば、
「死」について語っているからといって
単純に批判することはない、という皮肉なのだと思う。
そう言えば一休宗純も
「正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という
狂歌で、正月とは「死」にまた一歩近づく日だという気づきを与えた。
一休はまた、次の狂歌も残す。
「生まれては 死ぬるなりけり おしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も」
■命日 一月三日。
noteで一度、介護について語ったことがある父が、
この一月三日に急逝した。
年末から食欲が落ちて、その日も私は
朝から実家に行き、
昼食に粥七匙と蜜柑七房を食べさせた。
それどころか午後には二度、
トイレに行くそぶりを見せたのだが、
その後、次第に呼吸がゆっくりとなり
夜十時十一分に永眠した。
母と妹、そして彼女の息子一人がそこにいた。
*
実は私は大学時代の先輩・友人から、
十四日に会う誘いを受けていたのだが、
自らの心境を見つめつつ少し迷った後、
十日になってLINEで父の死を報告し、今回は断った。
その折、この山田詠美さんの
言葉を引用したのだが、返ってきたLINEには
先輩がお父さまを見送った際の気持ちが
書かれていた。
「父親には悲しみよりも慰労と感謝しかなく
ゆっくり休んでください、と祈った」。
私の気持ちも同じだ。
詠美さんの義弟の命日は一月二日で、
この日に墓参りに行く
ならわしになっている、とも書かれていた。
そして「新年の墓地は、清浄な澄んだ空気に満ちている」
とも。
*
父の訃報を電話で告げると
「いい人生だったじゃないか」
と叔父に電話で言われた。
「子供っていいなぁ、有難い」。
これは一昨日ようやく母から聞いた
年末の父の言葉だという。
悲しくはないはずなのにいま
涙が出るが、悲しくはない。
父は一月三日から私の心の中にいる。