賢い人が折れる。
折れるのは心ではない
「折れる」と言っても最近流行りの「心が折れる」の「折れる」ではない。
まさか死語にはなっていなかろうが、
「譲歩する」という意味の「折れる」だ。
タイトルのこの言葉は、4月18日の東京FM「Blue Ocean」の
「開運!魔法の言葉」というテーマで紹介されたリスナーの投稿だが、
文字通り、何かの争いのときに、先に折れる方がむしろ賢いのだという
教えである。
人間には、自分の考えを何が何でも押し通す「意地」という気持ちが
あるが、こればかりではもめ事は収まらず、気分も晴れないままだ。
そこで、自分の方から折れることができる人こそ賢いのだという主張だ。
人間ができていない私など、時折、相手が折れてくれると、何だか自分が
とても子供じみた接し方をしたのではないかと置き去りにされたように
感じることがある。これこそが「負けるが勝ち」ということか。
自ら先に「折れる」行為は、なぜかそんな力さえもつ。
あやまる勇気
4月20日の「人生最高レストラン」で加山雄三さんは、父・上原謙さんと
喧嘩し意固地になったときに母・小桜葉子さんがかけてくれた次の言葉を
紹介している。
自分が悪いか相手が悪いか、そんなことよりも
“あやまる勇気”は大変なことなんだよ。
「折れる」に「あやまる」が含まれるかどうかは微妙だが、この
「どちらが先にあやまるか」は、よく夫婦関係でもテーマになる。
しかしこの種の論議で“あやまる勇気”の尊さなど聞いたことがない。
私は、こと夫婦間では自分に非があれば、もちろん躊躇なくあやまるが、
人間関係で自分が悪いか相手が悪いか判別が難しい場合、あやまる行為には強い意識の操作が必要だ。加山さんのお母さまは、それを「勇気」と
言ったのだろう。
「折れる」のも「あやまる」のも、厳格にどちらが悪いかに固執するのではなく、自らの言動を振り返って、折れる道筋を見つけ、あやまるべきを
あやまるのは、やはり「賢い」と思う。
かくの如き意識の動きは、
子供じみた言動ばかり繰り返す人間にはできない。
私も、それができる人間、にならねば。
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