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見識は、実にしばしば一個の用例によって崩れる。

辞書ソムリエの見坊行徳さんが、
祖父で「三省堂国語辞典」初代編集主幹の
見坊豪紀が言っていたという
この言葉を紹介している
(先日の『JUST A LITTLE LOVIN'』)。

言葉の用例を140万例、
収集していたという見坊豪紀が、
それでもなお
「この言葉はこれが正しい」という見方や知識は、
人によって違う言葉遣いの一つの実例で崩れる
と言っているのには驚かされた。

辞書作りを行う編集者の姿を描いた
「舟を編む」では、
主人公・馬締(まじめ)が、
外を歩いて知らなかった言葉を
見つけると、すぐにメモをとる
場面が出てくる。
       
私は、
馬締がメモするような
新語の出現や言い回しの意味の変化は
致し方ないと思っている
(およそこれらが『言語は変わるもの』
と言われる対象ではないだろうか)。

しかし、

文法の根幹を崩壊させる
助詞の間違い
(『調子がいいという話が
聞くんですが』4.28中央競馬実況中継
ラジオNIKKEI)や、

(例えば日本初なのか
日本発なのか分からない)
アクセントを無視した
平板読みの多用を
許す言語が、
世界のどこに存在するのだろか。



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