見識は、実にしばしば一個の用例によって崩れる。
辞書ソムリエの見坊行徳さんが、
祖父で「三省堂国語辞典」初代編集主幹の
見坊豪紀が言っていたという
この言葉を紹介している
(先日の『JUST A LITTLE LOVIN'』)。
言葉の用例を140万例、
収集していたという見坊豪紀が、
それでもなお
「この言葉はこれが正しい」という見方や知識は、
人によって違う言葉遣いの一つの実例で崩れる
と言っているのには驚かされた。
辞書作りを行う編集者の姿を描いた
「舟を編む」では、
主人公・馬締(まじめ)が、
外を歩いて知らなかった言葉を
見つけると、すぐにメモをとる
場面が出てくる。
*
私は、
馬締がメモするような
新語の出現や言い回しの意味の変化は
致し方ないと思っている
(およそこれらが『言語は変わるもの』
と言われる対象ではないだろうか)。
しかし、
文法の根幹を崩壊させる
助詞の間違い
(『調子がいいという話が
聞くんですが』4.28中央競馬実況中継
ラジオNIKKEI)や、
(例えば日本初なのか
日本発なのか分からない)
アクセントを無視した
平板読みの多用を
許す言語が、
世界のどこに存在するのだろか。