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エッセイ 老いの境界線

 老いとは何か。老いるとは、人間が壊れていくこと。物は、車にしろ、家電にしろ、長い間使っていれば、劣化してくる。それと同じように、人間も劣化してくる。車や家電以上に、60年も70年も使っているのだから、なおさらだ。頭も体も劣化して壊れてくる。それは当然のことだ。
 長い年月をかけて少しずつ壊れてくる。だから、いつからが老いという、はっきりした区切りはないし、区切りをつける必要もない。若くても少しずつ老いは始まっているし、その進行は止まらない。逆に、ここからが老いだと区切りをつけてしまうと、愕然としまうのではないだろうか。そういうことにならないように、常日頃から、老いというものを飼いならしておこうと考えていた。
 が、しかしである。現実の世界はもう少しシビアだった。いくつかのはっきりとした区切りが存在するのである。ひとつ。定年。ひとつ。退職。ひとつ。年金生活。ひとつ。親の介護をする。ひとつ。独居老人となる。ひとつ。寝たきりになる。ひとつ。ボケる・・・。実際にはもっと多くの区切りが、存在するだろう。それは人それぞれによって違ってくる。
 こちらの心構えのあるなしに関わりなく、老いをまだ飼いならしていなくても、容赦なく、区切りの時は訪れる。その時にあわてないようにしなくてはならない。自分はまだそんなに壊れていない、と思っても、それをいくら主張しても、高齢者、後期高齢者のレッテルは貼られてしまう。その区切りが、60歳であり、65歳であり、70歳であり、75歳である。これらの区切りは、法律的な区切りである。これらの公的な境界線を、敢然と突破していきたいものである。


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