エッセイ 軍歌を歌う少女
小学校6年の時である。今から55年も昔の話である。修学旅行で京都・奈良へ一泊のバス旅行へ行った帰りの車中でのことである。お定まりのバスの中での歌の時間になった。指名された人間がみんなの前で歌うのである。ある少女が指名された。その少女はボーイッシュなタイプの女の子で、自分のことを「ぼく」と言ったりしていた。
「ぼくは今はやりのグループサウンズはあまり好きではありません・・・」
(グループサウンズとは簡単に言えばバンドである。ビートルズの人気にあやかろうと芸能事務所が粗製乱造したバンドによる音楽をグループサウンズと呼んだ。)
「昔の歌の方が好きなんで、おじいちゃんに教えてもらった歌を歌います。」と言って彼女が歌い出したのは
「わーかい ちーしおの よかれんのー なーなーつ ぼーたんは さくらに いーかーり・・・・・」
生徒は誰も知らない歌だった。私は軍歌も含めて、結構古い歌が好きな子どもだったが、知らなかった。みんなきょとんとして聞いていた。
「もーえーる げーんきな よかれんのー」と2番を歌い出した時だ。担任の男性教師が、少女の名前を呼んで
「もうやめなさい。」と言って止めた。
その顔はちょっと困ったな、という表情を浮かべていた。歌を止めたあと、何やら少女に話をしたようだが、離れていたので聞き取れなかった。あまりそういう歌を歌ってはいけないということを言ったらしい。そういう歌とは軍歌『若鷲の歌(作詞 西条八十 作曲 古関裕而)』である。予科練、海軍飛行予科練習生のことを歌った歌だった。戦争を賛美するような歌を歌ってはいけないということだったのだろう。男子生徒の中には、かっこいいじゃん、といって少女をもてはやす者がいたのも事実である。
大人になってから思い返すと、あの時の男性教師の対応はどうだったのだろうと思う。修学旅行のバスの中ということを考えると、やむを得なかったのかもしれないと思うが、考えようによっては、日本の現代史(学校が一番苦手とする)を教える素晴らしい機会を逃してしまったなという感じがする。あの歌の歌詞の意味、歴史的意義、戦争中はなぜ好んで歌われ、戦争が終わった後はなぜ歌われなくなったのか。そのあたりをわかりやすく説明できれば(その教師ができればだが)いい勉強になったのに、と思う。何でも墨を塗って隠していては、何も勉強できない。
※予科練についてお知りになりたい方はこちらへどうぞ。漫画でわかりやすく勉強できます。