エッセイ 西南戦争 その名前に秘められた意味
以下の文章は歴史的根拠のまるでない、私の想像力が生み出した戯言に近いものですので、笑い話としてお読みいただければ幸いです。
西南戦争という日本史上有名な内乱があります。西郷隆盛が1877(明治10)年に挙兵した内乱です。この内乱の意味は、今回は問題にしません。「西南戦争」というネーミングのみを問題にしたいと思います。鹿児島が日本の西南にあるから、というのが理由のようですが、子どもの頃から違和感を感じていました。普通だったら「薩摩の乱」とか「西郷隆盛の乱」とか名付けるだろうと思うのです。「西南戦争」では、全然意味が想像できません。
最近になって突然その謎が解けました。「西南戦争」とあいまいなネーミングにしたのは、もちろん意識的で、まず、「薩摩」とつけることは絶対に避けたかった。なぜなら薩摩出身者は時の権力の中枢にいて、特に大久保利通が内務卿として実権を握っていたわけですから、「薩摩」の名前は出したくなかった。また、西郷の名誉のためにも「西郷」の名も付けたくなかった。それで、苦肉の策として「西南」などというあいまいな表現を捻りだした。
と、ここまでは何となくありそうな話ですが、まだここから先があります。西郷には「西郷南洲」というもうひとつの呼び名があります。「西郷南洲」。「西郷」の「西」と「南洲」の「南」を組み合わせると「西南」となります。「西南」とは「西郷南洲」、つまり「西郷隆盛」のことなのではないか。表立って名前を出したくないので、こういう形でぼかしたのではないか、というのが私の想像です。大久保の西郷への、せめてもの、最後の思いやりだったのでしょうか。
西南戦争で西郷を死に追いやった大久保利通も、翌年の明治11年に暗殺されてしまいます。その暗殺事件の名前は「紀尾井坂の変」です。(納得)