続・座標軸 小泉劇場編
小泉純一郎が総理大臣になったのは、バブルがはじけて10年後の2001(平成13)年だった。その間、1995(平成7)年の阪神淡路大震災をはさんで、自民党の下野、政権奪回があったが、失われた10年はいまだ取り返せないままだった。しびれを切らせた小泉は「自民党をぶっ壊す」と息巻いた。小泉は森派(安倍派)で、競争原理を取り入れた小さい政府を目指すアメリカ寄りの政権だった。小泉がぶっ壊すといったのは、大きい政府を続けて、バブル崩壊後もなかなか変わろうとしない左派政権だった。
郵政の民営化を旗印としていた。小泉は自分の成し遂げようとすることに反対する者を抵抗勢力として、徹底的に排除した。選挙時には、わざわざ「刺客」の候補を立てて対決ムードを盛り上げた。賛成か反対かの二者択一、対立を恐れない劇場政治を演出した。私はこれがいわゆるポピュリズムだと思う。賛成する者は、味方として優遇し、反対する者は、敵として、その声には耳を貸さず、排除しようとする。そこに分断が生じようがお構いなし。賛成する者の受けはいい。ポピュリズムと呼ばれる由縁である。
小泉政権下で日本は一気に自由主義に傾き、アメリカとの関係は改善した。しかし日本は格差がすすみ、地方の商店街は閑古鳥が鳴いた。自己責任という言葉がまかり通り、思いやりのない、殺伐とした空気が蔓延した。(個人的見解です)