エッセイ 映画とお茶菓子
現代は映像が氾濫している。映画やテレビもいろいろなメディアを通してみることができるし、素人が撮影した動画もネットに溢れかえっている。
40年ぐらい前、私が大学生だったころは、そうではなかった。ホームビデオもない。当然レンタルビデオもない。パソコンもスマホもない。映画を見ようと思ったら、映画館へ行くか、テレビで見るしかなかった。テレビの地デジはまだ始まっていないし、BS放送すらなかった。画面にノイズ、ゴーストが入るのは当たり前だった。
そんな時代、私は映画に飢えていた。映画を見なくては生きていられないかのように、映画を見続けていた。映画館とテレビを合わせて1年で300本以上の映画を見た時もある。大学へ行かずに映画館通いをしていた。自分の知らない世界を疑似体験させてくれるもの、それが私にとっての映画だった。
映画館は、名駅、伏見、栄に集中していた。伏見の映画館に行くときは、名駅から地下街を歩いて行った。栄の映画館に行く時は、地下鉄の栄から地下街でいけるところまで行って、あとは大津通りを歩いて行った。新作映画をシネラマの大画面で見せてくれる映画館と、いわゆる名画座といって、古い名作映画の2本立てを低料金で見せてくれる映画館が私のお気に入りだった。映画館の中で食べるために、途中のパン屋で買ったサンドイッチとジュースの入ったレジ袋を揺らしながら、足早に映画館へと急いだ。1分でも早く映画館の暗闇の中に身を沈めてスクリーンを見つめたかった。
あれから40年。私の映画館通いは終わった。映画を常に身近に感じていたいという欲望は満たされた。好きな映画を、好きな時間に、好きなように、好きなだけ、きれいな画質で見られるようになったのだ。テレビで、高画質で放映される少し前の映画を、ディスクに取り溜めて見ている。女房のいれてくれるお茶とお茶菓子を手元に置きながら・・・。