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エッセイ 忠臣か義士か

 以下の文章は私の個人的見解です。事実誤認、認識の過ちがありましたらご容赦ください。特に赤穂浪士のファンの方はお気を悪くされる記述があるかもしれませんので、ご注意ください。

 年末と言えば「忠臣蔵」、という時代は遙か昔のことになりましたが、それでも何年かに一度は映画の新作が作られますし、テレビでは昔の作品が放映されます。私も詳しくは知りませんが、簡単に言えば、吉良上野介に侮辱されたことが原因で、江戸城で刃傷に及び、切腹させられた主君の浅野内匠頭の無念を晴らすために、取り潰しとなって浪人となった赤穂藩の家臣たちが、吉良邸に討ち入り仇討ちを果たす、という話です。元禄時代に実際にあった話が、後の時代に浄瑠璃や歌舞伎、落語や講談などに脚色され、大評判となったのが、始まりのようです。
 そもそも、この討ち入りは犯罪でした。親の仇を討つことは認められていても、家臣が主君の仇を討つことは認められていませんでした。ましてや幕府が、浅野に非があり、吉良にはお咎めなしという裁定を下しているのです。その禁止されていることを赤穂の浪人は犯したのですから、当然、罰せられます。全員切腹です。
 赤穂浪士が行ったことは、「忠」であったとは言えるでしょう。「忠」とは家臣が主君に対して忠誠を誓うことです。しかし、切腹させられました。なぜか。それは幕府に逆らったからです。「不義」を働いたからです。 「義」とは「正義」と考えていいと思います。誰が考えても正しいと思うこと、完全なる正しさ、とでも言いましょうか。そんなものがあるかどうかわかりませんが、ひとつの判断基準は、時の権力に逆らっているか、いないかでしょう。赤穂浪士は明らかに逆らっています。彼らの行いは「忠」ではあっても「義」ではない、と私は考えます。まさに「忠」臣蔵なわけです。(地元、赤穂では「赤穂義士祭」が毎年開かれているようですが、この「義」に、私は疑問を持ちますが、反対しようというつもりはありません。)
 浅田次郎氏に『壬生義士伝』という作品がありますが、あれは幕末の新選組を題材にしているので、「義士」でいいわけです。新選組は幕府の手先ですから。
 「薩摩義士」という言葉をご存じでしょうか。東海道さえ通さなかった木曽三川の洪水頻発地帯。そこの治水工事を幕府が薩摩藩に命じました。薩摩の力を削ぐためです。「宝暦治水」と言います。1年以上に及ぶ大工事で多くのお金と人命が犠牲になりました。残念ながら工事は完璧なものとは言えず、明治時代のオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの工事まで洪水は治まりませんでしたが、美濃の人たちは薩摩藩に感謝し、「薩摩義士」と呼んで神社まで作りました。これこそは「義」と呼ぶにふさわしい行いかと思います。(ただ薩摩の自発的行為ではなかったという点はちょっとひっかかりますが)
 私は「義」は「忠」よりもレベルが上の徳目だと思います。「忠」はあくまでも自分たちの親分に対する忠誠心。「義」は国、民衆に対して善を行うことだと思います。言い換えれば、「忠」は「自分たちファースト」です。それに対して「義」は「世の中ファースト」とでも言えましょうか。
 昨今の世の中、日本に限らず、「自分ファースト」の行いがまかり通っているような気がしてなりません。せめて、政治家のみなさんにだけは、「世の中ファースト」でお願いしたいものだと思います。


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