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映画感想文 七人の侍と野武士たち             

 

 最近またNHKで黒澤映画の放送をやりだした。先日は『七人の侍』をやっていた。何度も見た映画だし、ブルーレイにも取ってあるので見なかった。もちろん好きな映画なのだが、ひとつ欠点というか、物足りない点を言うと、野武士からの視座の欠如である。農民の側に立つあまり、野武士側からの視座をわざと省いたのかもしれないが、見ていていくつか疑問というか不満に思う点がある。
 最大の疑問は、野武士がなぜ、あそこまであの村にこだわる必要があったのかということである。農民が浪人を雇って、簡単に略奪ができないとわかった時点で、さっさとほかの村に標的を代えれば良かったではないかと思うのである。全滅するまであの村にこだわる必要はないだろうと思うのである。それに、野武士がなぜ「のぶせり」に身を落とさねばならなかったか、七人の侍との違いはどこにあったのかということである。
 こういういわば「悪者」側の視座の欠如は、戦争映画や娯楽時代劇にはよくあることだ。「悪者」とか「敵」の立場に立って描いたら、「悪者」や「敵」でなくなってしまうからだ。勧善懲悪ものの「悪」はどこまでいっても「悪」でいいのだ。でないと「善」が「悪」を懲らしめるという娯楽性が失われてしまう。だから『七人の侍』もこれは単なる娯楽作品だと割り切れば、それでいいのだろうが、私にはそれが不満なのだ。黒澤なら、この野武士たちをどう描いただろうということが気になるのである。むしろそっちの方が見てみたかったとさえ思う。
 この映画が公開された昭和29年は、自衛隊が発足した年である。自衛のための戦いは許されてしかるべき、というメッセージがこめられていたのだろうか。この年のキネマ旬報のベストテンでは3位に甘んじている。ちなみに1位は『二十四の瞳』である。戦争の傷はまだ癒えてはいなかった。


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