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エッセイ 水と生きる
2月23日は天皇誕生日である。天皇陛下が中世の水上交通の研究をされていることは以前から知っていた。学習院の頃からだと思う。随分変なことに興味を持たれるのだなと思ったものだが、今思うと、先見の明をお持ちだったのかなと思う。
津波の恐ろしさは言うまでもなく、夏の線状降水帯がもたらす大雨、水が姿を変えた冬の大雪。水は人間にとってなくてはならないものであり、水道や用水などのコントロールされた水は大人しいが、コントロールされていない野生の水は、しばしば人間にするどい牙をむく。そもそも人間は水の中では生きていけないものである。相性がいいとは言えない。かといって縁を切って困るのはこちらの方だ。仲良く付き合っていくしかない。
人間と水が比較的うまくつきあっていた時代はいつか、と考えた時、それは水上交通が盛んだった時ではないかと思い至った。陸上交通で荷物を運ぶ時に、大八車やせいぜい馬車ぐらいしか輸送手段がなかった時代に現れた水上交通。小さい物は川の渡し船から大きい物は江戸時代の菱垣廻船や樽廻船まで、水の浮力を利用した水上交通は人間の生活を格段に進歩させた。琵琶湖の近江八景など水に関する名勝を描いた絵には、大抵帆掛け船が描かれている。いわゆる「絵になる」風景なのである。水と人間の生活が一体となった姿が感動を呼ぶのである。
しかしその光景も近代化とともに急速に失われていった。五木寛之氏の『青春の門・筑豊編』から引用させていただく。
「ところが、鉄道の出現とともに、この船頭たちの華やかな時代は、たちまち消え去ってしまうことになる。芦屋船頭、伊吹耕平の黄金時代は、川筋の短くも輝かしい青春時代の終わりとともに失われた。明治三十二年筑豊線鉄道が完全敷設され、水運の息の根を喉元から止めてしまったからである。」(講談社文庫)
ここに書かれているように、鉄道が、そしてその後の自動車の発展が、人間を水から岡へ引き上げた。人間はだんだん水に冷淡になった。川にゴミを捨て、工場排水を流し、蓋をして暗渠とし、湖や遠浅の海は、次々に埋め立てていった。水を利用するだけ利用して、後は使い捨てである。水はきっと怒っているに違いない。地球温暖化で蒸発させられ、一度は姿を消したように見せかけて、再び大雨や大雪となって地上に戻って来て、人間たちを襲う。そこには、人間が帆船に乗って風の力で川や海を行き来していた時の心和むようなやりとりはない。うむを言わせずといった非情さを感じる。
水と人間がもう一度仲良く手に手を取り合って、川や海を渡って行ける時代は来ないものだろうか。水上交通だけでなく、広く現代の水問題に関心をお持ちの天皇の誕生日にこそ、考えてみるべきではないか。