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「旅行と旅の違い」という古典的なテーマに関する一考察。(その船を漕いでゆけ)

「旅行 旅 違い」とググれば、まとめサイトから個人のブログまで、様々な解釈が溢れている。

それだけこれは古典的なテーマで、言ってしまえば言葉遊びみたいなものかもしれないけど、よかったらお付き合い頂けると嬉しい。


で、ざーっと見てみると、こういう記事が書かれるときは比較的「旅の方がイケてる」という文脈の方が多い気がする。

まあ、こういうことをヤヤコシク考えこんだり発信したりするのが好きな人は、得てして旅人マインドの持ち主なのかもしれない。



さて。僕が考える旅行と旅の違いは、2つあると思っている。


ひとつは、「自分で決める」ということ。

どこに泊まるか、何を食べるか、どの道を通り、何をしに行くか。
旅行では、これらはパッケージやツアーの行程で決まっているかもしれないけど、旅はすべて自分で決める、自分で選ぶ。


でも、もし自分で決めていたとしても、あらかじめ固めた計画通りになぞるだけでは、たぶん旅とは言えない。


もうひとつは、「今、ここの感覚を大切にする」ということ。

その瞬間のモノ、コト、ヒトとの偶然の出会いを楽しみ、その時その時で心躍る方向へと進んでいく。
完全に予定通りにはいかない、もしくはあえて予定は立てない。


さっき「行程」と書いて気づいたけど、旅「行」はある程度決まったものを「行う」ってイメージ。
もっと言うと、旅行は「行く」ものだけど、旅は「出る」ものだ。


出てしまうのが、旅。そのあとは、「今、ここの感覚」で「自分で決める」の繰り返し。
この2つが、旅を”旅”たらしめるものではないかと思う。



そして、この考え方を応用すれば、日常の中でも"旅"に出ることは出来る。

例えば、通勤・通学の帰り道。

いつもの道なら、そのルートを通ることを「決めている」わけではない。過去の自分が決めたことに「従って」いるだけだ。
普段は通らない角を曲がって、その横道に入ることを「決めた」とき、それが”旅”のはじまり。

例えば、普段は早起きの苦手な人(僕だ)が、朝早く起きて、ジョギングをすると「決める」。

いくつもの障害(あったかい布団の誘惑、身を切るような風の冷たさetc)を乗り越えた先で目にした、綺麗な朝焼けに心が動かされたり。
すれ違うウェア姿のおじさんが勝手に仲間みたいに思えたら、「おはようございます」と声をかけられたりして。

移動距離にしたら数kmでも、これは立派な”旅”体験と言っていいと思う。


さらに。"人生という旅"もそうだ。

誰かとか、社会とか、時代に決められたレールに従って、進んでいるだけなのか。
過去のしがらみとか、あるべき将来を考えすぎて、いまこの瞬間を楽しむことを忘れていないか。

自分の人生を、「今、ここの感覚を大切に」しながら「自分で決めていく」ことが、「旅するようにいきる」ということだと、僕は思っている。



お気づきの方も多いと思うが、サブタイトルは『宙船』の歌詞から。中島みゆきは、偉大だ。

「お前が消えて喜ぶものに、お前のオールを任せるな」

これって、当たり前のように聞こえて実はすごく難しいことなのかもしれない―そんなことを考える、アラサー社会人の夜である。


◇◇◇

このnoteの続きを書きました。


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