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Netflix、監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影/The social dilemmaを見て思ったこと

Netflixのドキュメンタリー映画「監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影/The social dilemma」を見ました。

長年ずっとこのテーマで起業してきました。
「SNSというデジタル世界と人間」

現状のSNSの顧客は広告主であって、ユーザーではない。彼らの目線は常に広告主に向いています。

ユーザーが操作する履歴、タップ履歴、閲覧履歴。様々なビックデータを活用していかに効率よく広告をタップさせるか。そのために多くのデータ処理がなされています。

大目的は、インプレッションの増大であり、広告クリック率の向上。そこでやりとりされる情報が真実かどうかは関係ない。その情報を見ることで、または拡散することで、傷つく人がいるかどうかも関係ない。AIは、情報の真偽を判断できないし、その情報を読んだ人の感情を予測できない。

企業は、事業を推進する限り、売上を伸ばし、利益を出さなければなりません。その延長線上で、世界がより良くなる。それがベストです。

1900年初頭、自動車の大量生産が発明され世界に浸透しました。それによって移動コストが大幅に削減し、多くのビジネスが産まれました。一方、毎年何万人もの人が自動車の交通事故で亡くなります。日本の交通事故死者数は、1970年の16,765人にまで登ってしまいました。そこから自動車の構造的な改善、シートベルトの徹底、エアバックの普及などにより2019年には3,215人にまで減りました。自動車という産業は「3000人という犠牲」と「高速移動による社会の進展」の天秤をかけて進んできています。犠牲も大きいが、自動車が与える国、産業、生活の改善も大きい。それゆえ、交通法、安全基準など多くの規制のもと、進んできて現在があります。AIによる自動運転が普及した暁には、交通事故(特に高速道路での交通事故)は極めてゼロに近く未来が見えてきます。

2012年。日本はソーシャルゲームの熱狂に包まれていました。それもコンプガチャという、単純に言えばギャンブル性が問題視され、一気に沈静化しました。多くのベンチャーや起業家がこの市場に参入し、ユーザーに射幸心を煽り、デジタル画像のアイテムやコインを大量に複製することで爆発的な利益を叩き出しました。この事業は、社会をどう良くしたんでしょうか。キャラクターカードの組み合わせによるゲーム内のプレイヤーの強化。そのカードは、ガチャによる確率的な出現で手に入るトランプの手札。その構造はポーカーと告示していました。ゲームは、エンターテイメント、娯楽、爽快になる、リフレッシュできる。一方、この構造は過度のアイテム課金を誘導し、月に何十万円も消費してしまう未成年も生み出してしまった。規制によってこのモデルは淘汰されました。ここでは、何と何が天秤にかけられていたのでしょうか。今では業界の方々の不断の努力もあり、健全なルールのもと、様々なソーシャルゲームが世の中でプレイされています。

2020年。いや、2010年以降のこの10年。SNSという巨大なプラットフォームは、何と何が天秤にかけられているのでしょうか?

Netflixのドキュメンタリー映画「監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影/The social dilemma」において2つ衝撃的な統計データが出てきました。

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自傷行為をした10代の少女の数です。2010年以降この10年増大し続けています。

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もう1つはこちら。10代少女の自殺者数です。2010年から増えています。

2010年に何があったか?

FacebookにおけるLikeの発明です。投稿し、シェアし、Likeされ、通知される。環境に大きく影響を受けやすい10代、デジタルネイティブ達に大きな影響を及ぼしました。その結果がこの10年の統計で明確に出てきているのです。

日本で同じ期間の自殺者の推移も調べてみました。2010年から2020年にかけて、アメリカは100万人あたりの自殺者が35人から60人に増大した(ただし少女のみ)のに対し、日本は男女10代で100万人あたりの自殺者が47人から53人に増えています。

先進国の中で自殺者が多いと言われる日本。10代に限って言えば、アメリカの方がこの10年で高くなってしまったようです。日本も14%増加しているため、軽視できません。

SNSは、「若者の未来」と「現在の利便性」を天秤にかけているのではないでしょうか?

もはや人類は自動車の利用を辞めることはできません。毎年どれだけ交通事故の死者を出したとしても、利用を続けるでしょう。人間の数百倍の移動パワーは手放せないからです。

もはや人類はSNSの利用を辞めることはできません。どれだけそのビックデータの裏側に広告のためのデータ処理があろうとも、フェイクニュースが拡散されようとも、誹謗中傷に傷つこうとも、利用を続けるでしょう。人間の数億倍の情報処理と世界中の人と繋がることができる環境は手放せないからです。

私がSNSを使い始めたのは、2008年末です。当時ニューヨークで留学していたのですが、そこでアメリカ人の友人から「なんだ、Facebookも使ってないのか?」と言われたのがきっかけでした。以来、12年間Facebookを使っています。毎日アクセスしています。家にいる時も、寝る前も、ついついアクセスしてしまっています。

最近はなるべく見ないようにしよう。ポストは1日に一回程度、いや2、3日に一回にしてみよう。そんなことを意識したりもしています。

現在Facebookは2000人を超える人と友達接続されています。このnoteは1000人以上の方にフォローされています。Instagarmはアカウントを持っていますが、ほとんど使っていない状態です。

Facebookに投稿する時は、何か良いこと(カッコ良いこと、賢く見られること)を書こうと意識してしまいます。Instagramは、加工によって過度に綺麗に見せることが好きではなく、投稿も閲覧もあまりしません。このnoteは、この社会で生きてきて感じることを、個人の意見としてありのままを書こうと努力していますが、人間ですので、カッコ良く見せてやろう、という意識は当然あります。

これからも、私含めて世界中の人はスマホの利用を続けるでしょう。SNSを見続けるでしょう。インターネットを見続けるでしょう。動画コンテンツを見続けるでしょう。そんな世界を生きていくからこそ、次のような場所が必要なのではないでしょうか?

辛いことがあった時に、素直に辛いと吐き出せる場所
悲しいことがあった時、素直に悲しいと吐き出せる場所
嬉しい時に、素直に嬉しいと吐き出せる場所
ネット上で繋がっている他の誰かに気兼ねすることなく、自分自身のその時々の素直なありのままの自分を吐き出せる場所

24時間、インターネットに繋がった状態で生き続けていくことになってしまう世の中だからこそ、敢えて、その場所の中に、「素直なありのままの自分を吐き出せる場所」を用意する必要があるのではないか。

そんな思いから、今は「感情日記とコミュニティからの共感」が得られるありのままの自分を吐き出せる場所としてFeelyouを展開しています。

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ローンチから2ヶ月が経過しました。現在ユーザーは88か国に散らばり、2万人の方がダウンロードし、毎日アクセスしています。ユーザーは8割は欧米の方であり、日本のユーザーはまだ5%程度となっています。広告は一切行うつもりはなく、サブスクモデルで事業を継続できないか模索中です。

サービスの改善はまだまだ発展途上ですが、先日ユーザーにアンケートをとったところ、1つ嬉しい結果が得られました。

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デジタル社会、インターネット社会。どうしたって毎日手にとって使い続けてしまう。そんな世の中で、心のオアシスのように、「ここに行けば、力を抜いて自分のままでいられる」世界中の人にとってそう感じてもらえる、そんな場所を目指して創り続けて行きたいと思っています。

(なんやかや、最後に自社サービスの紹介を差し込んでいること、ご了承ください)

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