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猪瀬直樹氏の『黒船の世紀』と『公』を読んで。

黒船の世紀』と『公』を読んだ。
知らない政府の内情が沢山書いてあった。涙が出て来た。


もともと私には政治的金銭的感覚に欠けているところがある。
お小遣いを1000円貰ったら、全く遣わないか、家族や友人の誕生日に全額を使った。美容にも装飾品の類いにも興味がなかった。


破れたスカートを履いて近所を走り回り、誰かに指摘されても全く気にならない。
私が興味を抱いていたのは“生きている何か”だった。
生きているものは全て愛おしかった。そして人を根っこから信じていた。


今、弊社で幾つかの事業をしているが、成り立っているのは、全て社長の才能のお陰である。
私たちの運命を変えたと言っても過言ではない、あの “研究会” (以前に書いておりますので気になる方はそちらをご覧下さい) を始めた頃は互いに別々の仕事をしていた。私は障害者施設でソーシャルワーカーをしていて、彼は福祉用具機器の営業から転身、ケアマネジャーとして9年ほど経った頃だった。


それは2012年。猪瀬さんが東京都知事をされていた頃。

中国経済連合会で主催された勉強会で高齢社会課題に取り組むことになり、講壇者として彼が招かれたのをきっかけに、私は、図書館に入り浸るようになり、高齢社会の未来予想図を描いて、登壇者でもないのに彼に迫った。

一般的な高齢者の実情を話せば良いと、眉をひそめる彼をあの手この手で説得した。
すると、私の乱雑な未来予想図をわかりやすい構造図へと書き換え、彼は当日、持ち前の人を惹き付ける講話でその構造図を発表した。

多くの有名大学や大手企業の方々が名を連ねていた。
大変褒められて彼は大変喜んだ。私も自宅で話を聞いて嬉しくなって飛び上がった。

その流れで、広島大学教授、経済連合会の部長、中国新聞社の課長他、有志のメンバーで研究会をスタートさせたのだが、
思わぬ情報が飛び込んできた。
私たちの考えた構造図に非常によく似た図で、富士通が厚労省のなんたら賞か何かを貰ったという。
勿論、その会社の社員○○さんもあの日の勉強会には来ていたのは名簿に記されている。

私は一人で頭に血が上っていたが、先生方は至って冷静だった。
大きな会社がそんなことをするはずがないと思っていたが、自分達も以前から考えていたと言われればそれまで。

実際には、私達のものより実現し易い仕組みになっていたように記憶している。大きな会社だからこそ出来るんだと知った。

その後もNTT東日本の○○さんと○○さんが、弊社を尋ねて来て
『何をやろうとしているのですか。一緒にやりましょう』
と情報だけ取って音信不通になったこともあった。


研究会メンバーからは、誰にも情報をやるなと口止めされていたけれど、私たちはまだ人を信用していた。いや、私たちではなく、私だけだったことは後で社長に聞かされた。

もうやる気がなくなった。
どうして人は集団になると人を踏みつける様な事をするんだろうと世の中を憎んだ。

けれど、それは私の大間違いで、私は大事なことに気付いていないだけだった。

形だけの物真似をしても本当に高齢者一人一人に届くような取組みは出来ない。肌感覚での舵を切らなければ不可能だし、続けてさえいけない。

『やれるものならやってみろと思えば良い』と教授に励まされた。


当時は「大河ドラマ龍馬伝」が人気で、猪瀬さんの都知事としての一生懸命な姿は存じていたけれども、東京での出来事だったから、それほど気にとめてはいなかった。ある日知人達がネタにし始めて関心を向けていると、どうやらひどい仕打ちを受けたと知り、猛烈に腹が立ったことは覚えている。その知人達とは縁を切ったほどだ。

弊社の事業の根幹は介護事業である。
収益と並行させながら新たな取り組みを行うことは非常に体力が要る。

いつだって社長はボロボロだったのに、それでも未来を予測し提案ばかりしてくる私に、彼の怒りも限界に来ていた。
彼はもともと人を信用しない風土で育ち、巧みな駆け引きで自己の名前を信用へと変えてきた人だった。
一円も損したくない。名前を轟かせたい。そんな彼が高齢社会の理想を説くことを妻から押しつけられた。
それは未来を信じ、人を信じるということに繋がる。

お前がやれ
と何度も言われたけれど、私はケアマネジャーでもないし、障害者施設から高齢者分野に転身した私にはケアマネジャーの受験資格はなかった。もちろん援助技術の方法もまるで違った。

彼は私と出会わなければきっと、超高齢社会の実像を可視化するために、実証実験に取り組む会社を設立することもなく、そのまま商売一直線でお金持ちに成れていただろう。そのためなら何でも出来るような強靱な神経をしているし、それが彼の一番の欲求であり、損得勘定の計算がずば抜けて速い。

研究会を始めた頃、広大の当時は現役教授だった椿先生は、彼が何度目かに持ち込んだ資料を見てこう仰った。
『これは本当に君が書いたのか』
彼が『いえ、妻です』と答えると、
『そうか。それで分かった。二重人格かと思ったよ。今度は二人で来なさい』


日本テレコム会長賞を頂き、更には広島市での情報基盤アプリの導入が決まった時、社長は心の底から喜んでいた。やってきて良かった!とまで口にした。全て社長の実力と努力の賜だった。

私も嬉しかった。

小説『親愛なる高齢社会、日本』は、2013年に描いた未来予想図だった。(昨年にアップしたものはそれに時代背景を加筆したもの)

そんな社長に、これ以上負担を掛けることは出来ないと思っている。
これまでも散々振り回してきたのである。もう良い年齢にもなった。

けれど、猪瀬さんの著書を読んで、今後の超高齢社会のあり方を考えずには居られない。
どう自分を抑えれば良いのか分からない。私の思い描く未来図は社長がいなければ成立しないからである。また彼の生き方と反する理想を押しつけやしないか、一波乱起こさないか、自分の事が本当に心配である。
それほどの影響力のある作品でした。

弊社の意向とは全く関係のない個人的なブログです。

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