モリー先生との火曜日
生きている実感はあっても、
死ぬことはリアルに想像できない。
小学生の頃に友達に「夜寝る前、布団の中で何考える?」と聞かれ、
「死んだらどうなるのか考える」と私が話すと、周りの友人たちはとても驚いていた。
え、みんなこんなこと考えるんじゃないんだぁ、と私も驚いた。
その頃の私は、死後の世界が"ある"と言う前提で、死んでしまったらどうなるんだろうと布団の中で想像を膨らませていた。
家族と別れることや、いったいどのくらいの間真っ暗闇の中を彷徨いながら次に生まれ変わるのを待たなきゃいけないけないんだ、なんて想像しては途方にくれて布団の中で静かに泣いていた。
泣くくらいなら想像しなけりゃいいのに、怖いもの見たさもあったのかな。
あれから月日が経ち、これまで何回か身近な人たちとの悲しい死別を経験してきた。
今、大人になった私は、死後の世界は真っ暗闇ではなくて光の世界なのかなとなんとなく思っている。
以前観たディズニー映画の「リメンバー・ミー」は、今までにない死後の世界を想像させてくれた。
最近、Veda Tokyoの吉川めいさんが掲題の図書を紹介されている記事を読んだ。
この本は20年前に友人から"絶対に読んでみて。絶対に‼︎"と勧められていたものだった。
当時は「うん、わかった」と適当に答えてそのままになっていたが、今回めいさんの記事を見て読むことにした。
こちらの本には死後の世界のことではなく、
モリー先生が語る生の世界のことが綴られている。
死と背中合わせに生きているのは命あるもの全て同じはずだけど、常に肝に銘じて生きるのは難しい。
そんな私たちにALS患者であるモリー先生が"生きること"とはどういうことなのか切実に訴えかける。
冒頭に書いた、生きている実感。
私の場合、それは"感謝できることがある"ということだ。
モリー先生の場合のそれは"人や自分に惜しみない愛を与え、与えられる愛を受け取ること"だと私は理解した。
モリー先生は生きて愛を体験した。好きな曲で踊ること、友人たちとの語らい、ALSを患って身体が動かなくなってからもちょっとした肌と肌の触れ合いに喜びを感じ愛を表現していた。
モリー先生の生き様や死に向かっていく様を想像していると、死ぬと言うことがどんなことなのか1つの考えが浮かんだ。
"この地球とお別れする"ということだ。
私は"わたし"という身体を借りて、この美しい地球で愛を体験させてもらっている。
この考えは少しだけ、死ぬと言うことをリアルに感じさせてくれた。
悲しい、辛い、苦しい、寂しい思いや、嬉しい、楽しい、幸せ、喜びや感動、全ては愛を体験しているということ。
いつか地球を去るその日まで、愛を体験して表現しまくりたい!
この私が、愛なんて知った風なこと言ってダサいぞ!と突っ込みたくなるけど、
この本を通してモリー先生というあまりにも純真な愛の存在に出逢たことで、
や〜っぱり、全ては愛だと言ってしまっていいんだと思えて安心もしている。