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出来ない自分、出来た自分

私は以前大学を卒業してから保育士をしていた
だが病気にかかり休職を余儀なくされ、送迎バスにも添乗し過重労働であったことも踏まえて退職をした。今度は違う所へ同じ業種で働こうとしたが同僚からのパワハラが多く私が気づかないうちに心はボロボロになっていた。心の病気、とよく最近聞くが私には無縁のはなしだと思っていたが、気づけば、うつ病になっていた。翌日もなんとか導かれるように出勤したが園長へ診断書を渡し「今日は人と関わらない様な作り作業など事務的な作業に回して欲しい」と伝えた。園長先生はこのことを優しく受け止めてくれ、今日は昨日の今日で理解が追いついていないだろうし帰っていいよと言ってくださった、それから1年ほど休職していた。
1人での生活は困難で食べることも寝ることも料理をするのも大変で実家に帰ることになった。それから半年くらいの記憶は正直ほとんどなく起きてお風呂も億劫な日があったのは覚えている。薬で眠ってばかりだった。
落ち着いた頃、日常生活を送れるようになったころ家に帰ることにした。前のような経験は二度としたくないが実際どこにでもあるのだろうと感じていたが、全く違う職業に着くことにした。介護の仕事。
いままで人との関係に悩まされていた私は人と関わらない職業もありかとも思った。けれど人に気づ付けられた人を救ってくれるのも人。と聞いたことがあり、コミュニケーション自体はとても好むタイプなので介護の仕事をえらんだ。
だが、一生懸命に一つ一つひとりひとりのお客様を相手にしている間にまた仕事に行くことが出来なくなった。今までは出来ていた自分が出来ない自分へとなってしまった。また休職となり、いましたい事と言えば仕事に普通に行くことだけれど、出来ない自分にまたなってしまった。
なりたい自分と言われれば仕事に行くことが出来た自分である。

#なりたい自分 #創作大賞2024


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