縄文短歌 父の場合
私の祖父は、雑木林を開墾してぶどう園を開きました。迷うことなくそのあとを継いだ父は、そこで、生涯をぶどう農民として過ごしました。父は、86歳までは現役でぶどう作りをしていましたが、体力の衰えとともに、生きがいだったぶどうの仕事を続けられなくなり、90歳で亡くなるまで「もう何の楽しみもない。生きている甲斐もない」と繰り返すようになりました。その嘆きに付き合うことは、息子である私にとって、その気持ちもわかるだけに、ずいぶんしんどいことでした。
また父は、農民にしては珍しく、素朴な唯物論と近代的な科学の信奉者でした。祖父からその思想を受け継いだ父は、「あの世なんてない。おやじは、人が死んだら土に還ると言っていた。俺もそう思う」というのが口癖でした。
私はと言えば、少年時代こそ、祖父と父の思想をそのまま受け継いだ「良い子」でした。しかし、その後の“長い旅”を経て、今では父とは違う世界観を持つに至っています。そのような自分として父親の死出の旅に付添うことは、自分が真に親離れをしたことを実感する体験でした。ずいぶん時間がかかってしまいましたが……。
旅立った父
土に生き土に死にたる父親はぶどうを愛すひたすら愛す
父にとり母は本妻 ぶどうはと言えば「愛人」入り浸ってた
墓碑銘に書ける言葉は一つだけ「ただひたすらにぶどうを愛す」
墓碑銘に書けぬ言葉もありまして「ただひたすらに妻を愛す」と
父親はぶどう作りに取り憑かれぶどうの鬼と言われてました
「大好き」と出会って鬼と呼ばれてた父は幸せだっただろうか?
父襲う脳梗塞が奪いしはぶどう畑で働く「自由」
愛してるものを奪われ父親はただひたすらに「死にてえ」と言う
父親の最後の望みはただ一つ「家(うち)の天井見ながら死にてえ」
「愛人」と別れた後に「死にてえ」と言われて母は何を思うか?
「死ぬときは必ず家の天井を見せてあげると約束するよ」
施設から家に帰った父親は天井見上げニヤリと笑う
父親は天井見つつ死にました ぶどう畑の見える部屋にて
父さんの願いかなえてあげました やっぱり僕は息子だからさ
父の視点
あの世などないと言っては来たけれど川を渡るとあの世はあった
どこかではあるんじゃないかと思ってたそれを口には出せなかったが
ここまではバックでたどり着いたけどあちこちぶつけ車へこます
オヤジには会って思わず苦笑い「土に還ると言っていたよな?」
俺たちはのんきにやっているからな 土産話を楽しみにして