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花伝書(世阿弥 編)
「指南書」としての花伝書
以前、私はこのBlogでマキアヴェリの「君主論」を「プレゼンテーションツール」としても一流と書きました。
この「花伝書」は、形式的に「指南書」としても極めて上質なものだと思います。
その構成ですが、イントロダクションとしての「序」に続き、「第一 年来稽古条々」の章で、「年齢段階順」に申楽の稽古の要諦を示しています。
次に「第二 物学条々」の章において、申楽の芸の基礎となる各種「物まね」の心得・注意点を整理しています。その示し方は、「女」「老人」等々、ひとつひとつ具体的対象を挙げて個々に詳しく勘所を解説しています。
「第三 問答条々」は、今流にいえば「FAQ」です。「第一」「第二」の稽古が進んだ者が、より深く申楽の奥義を体得しようとする姿勢に応え、実際の舞台本番においてその力が発揮できるような活きた智恵を与えています。
「第四 神儀に云ふ」は、申楽の歴史について述べた章です。解説によると、この章は以下のような目的で書かれたとのことです。
(p164より引用) 当時の申楽者は、平安初期に楽戸を辞退して以来、戸籍のない民であって、自ずから社会的地位・身分を卑しめる境遇に甘んじていたのである。・・・それら申楽者が、尊重すべき長い歴史を持つ芸道に身を置くものであることを自覚することによって、彼等の持つ社会観を変更させ、自己の歩む芸道に自信を持たせようと企図したのである。
とすると、この章は、グループのリーダ(統帥)としてミッションの正統性を明らかにし、メンバのモチベーションの向上を図るための宣言とも言えます。
「第五 奥神儀に云ふ」は、申楽の意義・価値を明らかにし、申楽を演ずる目的、そもそも芸能の本質とは何か等について述べた章です。
この章をもって、申楽の道に精進するものをして、その道を究めようとの自覚を増さしめ、さらに、なお一層の研鑽に努めることに至らしめています。
まさに、芸術・芸能の本質論から歴史、求道の目的、具体的研鑽方法・心構えの解説、意欲継続・増進に向けた訴求等、あらゆる要素を包含したフルスペックの指南書と言えます。
初心 in 花伝書
「初心忘するべからず」という詞は世阿弥が編んだ「花伝書(風姿花伝)」が出典とされています。
ことわざ辞典によると、
何事も、それを始めようとした時の謙虚さや真剣さを忘れてはならない、ということ。初心=ならいはじめたときの素朴な気持ち、の意。
とかと解説されていて、「初心に帰れ」「初めて事に当たる新鮮な感動を忘れるな」といったコンテクストで登場します。が、「花伝書」における「初心」とはちょっとニュアンスが異なるようです。
「花伝書」では、まず、「二十四五歳のころ」を「初心」といっています。いわゆる物事のやりはじめを意味しているのではありません。
(第一 年来稽古条々 p19より引用) このころ、一期の芸能のさだまる初めなり
(第一 年来稽古条々 p21より引用) 初心と申すは、このころのことなり。・・・わが位のほどほどよくよく心得ぬれば、そのほどの花は一期に失せず。位より上の上手と思へば、もとありつる位の花も失するなり。よくよく心得べし。(初心と言うのはこの時期のことだ。・・・自分の芸の実力の程度を十分に承知していれば、その実力の程度の花は一生涯無くならない。自己の実力以上に上手とうぬぼれると、元来持っていた実力から生まれる花も無くなってしまう。この点にくれぐれも注意するがよい。)
とあるように、「事に慣れ,上達し始め,何か自信が出てきたときの自己満足や慢心を戒める」という意味のようです。
世阿弥は、上手になりはじめた頃が最も危険な時期だと見ているのです。
若盛りの一時的なよさが珍重されて、まわりから誉めそやされるままに「時分の花」を「真実の花」と見誤ること、その結果、折角、咲き誇りかけた花を枯らせてしまうことを戒めています。
この時期にこそ慢心せず稽古に一層精進することにより、「誠の花」を咲かせる道に至ると説いています。これが、花伝書にいう「初心忘るべからず」という心です。
あと、花伝書には、もう一箇所、ストレートに「初心忘るべからず」と記しているところがあります。
(第七 別紙口伝 p90より引用) しかれば、芸能の位上れば、過ぎし風体をしすてしすて忘るること、ひたすら、花の種を失ふなるべし。その時々にありし花のままにて、種なければ、手折る枝の花のごとし。種あらば、年々時々のころに、などか逢はざらん。ただかへすがへす、初心を忘るべからず。(そうしてみると、芸能のくらいが上ると、過去の風体をすっかりやり捨てて忘れてしまうのは、ただもう花の種を失うことだ。その時々に咲いている花だけで、種が無いということになると、手折った花の枝のようなものだ。種があれば、年々またその時節にはかならず咲きあおう。そこでくれぐれも初心を忘れてはならぬ。)
ここでは、「初心」のころの慢心の戒めではなく、年季を積んでの役者に対して、「年々去来の花を忘れてはならぬ」と教えています。これはまた、ひとかどのレベルに達した人に対する「慢心の戒め」です。
観阿弥(世阿弥の父)のような達人は、初心の時からこのかたの芸能の様々を花の種として身に残しておいて、それを必要に応じて取り出して演ずることができたと言います。
花の種
「花伝書」は、申楽の奥義である「花」の伝承を目的としています。
(第七 別紙口伝 p82より引用) 花と、おもしろきと、めづらしきと、これ三つは同じ心なり。
「花」とは、観る者に心からの感動を与える元であり、その主たる要素が、おもしろさでありめずらしさということのようです。(ここでの「めずらしさ」とは奇を衒ったものとは全く別物であることはいうまでもありません)
この「花」の本質的に意味するものはもっともっと深遠なもののようなのですが、それに至る道程は王道です。
(第三 問答条々 p54より引用) この物数を究むる心、即ち花の種なるべし。されば、花を知らんと思はば、まづ種を知るべし。花は心、種はわざなるべし。(この芸の種類を学び究める心がけが、花を咲かせる種である。それゆえに、花を知ろうと思うならば、まず種を知らねばならぬ。さて、「花」は心の工夫の問題、その花を咲かせるもとの種は、芸の実力というわけである。)
「花」のもとは「種」、「種」は、年来の稽古の積み上げによる芸そのものです。真面目にこつこつと稽古に精進した者すべてが「花」を悟り達人の域に達するものではないのでしょうが、基本の無い者が「花」を悟ることは有り得ないのです。
なぜなら、「花伝書」には、
(第三 問答条々 p53より引用) ただわづらはしくは心得まじきなり。まづ、七歳よりこのかた、年来の稽古の条々、ものまねの品々を、よくよく心中にあてて、分ちおぼえて、能をつくし、工夫を究めて後、この花の失せぬところをば知るべし。
とあるからです。
すなわち、花に至る道を煩わしいと思ってはならない、志したころからの地道な稽古を重ね、その中で次第に分かってくるものだと教えています。
この「花」に至る口伝は、秘伝であると同時に血縁には縛られない道の厳しさも語られています。
(第七 別紙口伝 p97より引用) この別紙の口伝・当芸において、家の大事、一代一人の相伝なり。たとへ一子たりといふとも、不器量の者には伝ふべからず。「家家にあらず、続くをもて家とす。人人にあらず、知るをもて人とす。」といへり。これ万徳了達の妙花をきはむるところなるべし。
たとえ、一人っ子であっても才能の無い者には伝えてはならぬ、継ぐ資格のあるものに「これを秘し伝ふ」のです。