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新しい科学論 (村上 陽一郎)

常識的科学観

 タイトルに「新しい科学論」とありますが、科学に対する基本認識を改めるもしくは再確認するには、まさに最適の本だと思います。

 著者の村上陽一郎氏は、科学史・科学哲学の重鎮です。本書は、その氏がまだ40代のころに著したものです。

 まず、以下のような氏の基本メッセージが示されます。

(p30より引用) 科学は「客観的真理」から成り立っており、それはだれが、どんな人が発見したとしても、その人間のあり方とは無関係に成立する、という考え方です。わたしは、この考え方は最終的には正しくないと考える・・・

 本書の前半部分は、これまで広く常識的に信じられてきた科学観を概観します。たとえば、ガリレオの宗教裁判のように「“キリスト教的先入観”が自然科学の進歩を阻害してきた」といった考え方です。

 そして、本書の後半部分では、それらの常識的?な科学観を次々と壊していきます。
 コペルニクス・ニュートン・ケプラー・ガリレオ・・・らの科学的発見を、村上氏はこう捉えています。

(p111より引用) 少なくとも彼らは、キリスト教的偏見を捨て、宗教的迷妄から解放されてありのままの自然を見たから「自然科学的真理」に到達することができたのではなくて、この世界を創造主である神が合理的に造り上げたというキリスト教的偏見をもっていたからこそ、「自然科学的真理」を得ることができたといえるのではないでしょうか。

 現在の「常識的?科学観」は、むしろ、18世紀の啓蒙主義者が従来の科学から「キリスト教的信仰」を邪魔物として取り払ってしまったことにより変質してしまったものだと言うのです。

(p118より引用) 科学に対する今日の常識的な考え方の大部分は、・・・啓蒙主義的「偏見」や「先入観」の上に形づくられていることにもなるわけです。

事実は理論に依存する

 村上氏は、本書で「データの客観性」についても論じています。

 通常の常識からは、「データ」といえるものは、誰が見ても(聞いても、計測しても・・・)同じもの(結果)でなくてはなりません。
 しかしながら、氏は、観察されたデータは「主観的なもの」だと言います。あくまでも「観察者」に依存するものであり、観察者が変わるとそこで事実として把握される内容も変わるのです。

(p151より引用) 今わたくしどもが、天然自然の姿として認め、知っているものは、たまたま、わたくしどもが、今のわたくしども程度の大きさをもち、わたくしどもの感覚器官が、今の程度の分別能力をもっていることに結果としてのものなのであって、それらの条件が変われば、自ずからそれにつれて、外界の有様も変わる、ということは認めなければなりますまい。

 確かに、人が見る外界と、イヌが見る外界と、コウモリが見る(聞く?)外界とは、同じものを見ても全く異なって見えるはずです。それぞれの感覚器官の能力が違うのですから。

 そうなると「事実から理論」という帰納的アプローチはその拠って立つ礎が不安定になってしまいます。

(p181より引用) 科学についての常識的な考え方に従えば、理論は、データから、帰納によって造られることになっていました。しかし、ここに到って事態は完全に逆転したからです。「事実」が科学理論によって造られるものと考えられることになりました。

 氏の立論では、「『前提となる理論を共有している人々の間』で『事実』が認められる」ということになるのです。

 従来の常識では、それまで正しいとされていたある理論に対し、それに反する「事実」が見出されることが、新たな理論構築のきっかけになると考えられていました。
 しかし、「事実は理論に依存する」となると、そうは言えなくなります。

 客体である「事実」をトリガとしないで科学理論が変化するということは、主観側に、その要因を求めることになります。すなわち、「人間の意識構造の変化」です。

 この考え方の例示として、氏は、自然科学的な「原子論」の現出を挙げています。ボイルやニュートンに代表される原子論が唱えられ始めた16から17世紀にかけてのヨーロッパでは、まさに「近代の個我の成立」「自由主義の萌芽」が見られました。

(p193より引用) 17世紀ヨーロッパ社会が底流としてもっていた基本的な考え方と、自然科学的な「原子論」の確立との間には、単なる現象面での同型性以上に強い関係があると考えてよいでしょう。

 「個人」と「原子」のアナロジーです。

 氏は、「『自然科学』が一人歩きする」ということはおかしな話だと言います。

(p194より引用) 科学理論の変換の起こる過程は、単に特定の科学理論の場面だけでの操作が関与しているのではなく、それを組み込んでいる全体的な世界像や自然観などとの有機的な構造の総体が関与している、ということだけはいえると思います。

 当然ですが、「科学はもともと人間の営み」です。


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